ベートーヴェンの生涯
「ベートーヴェンの生涯 (ロマン・ロラン著、片山敏彦訳、岩波文庫)」を読み終えました。短い小説なので、色々な方に是非読んで頂きたいです。
ロマン・ロランはノーベル文学賞を受賞した作家で、大のベートーヴェン好きとして知られています。
本書は、1903年に書かれていますが、1938年に日本語に訳されているんですね。太平洋戦争前に、戦争反対を訴えた作家ロマン・ロランの著書の発行がよく許されたものだと思いました。
前置きで、ベートーヴェンの苦悩と、それを克服したかれの生涯に触れられ、本文はそれをなぞるように描かれています。冒頭は、現在でも共感する人が多い文章と思いますので、引用します。
善くかつ高貴に行動する人間は、ただその事実だけに拠っても不幸を耐え得るものだということを私は証拠だてたいと願う。
1819年2月1日・ヴィーン市庁宛の書簡より
空気は我らの周りに重い。旧い西欧は、毒された重苦しい雰囲気の中で麻痺する。偉大さの無い物質主義が人々の考えにのしかかり、諸政府と個人の行為を束縛する。世界が、その分別臭くてさもしい利己主義に浸って窒息して死にかかっている。世界の息がつまる。-もう一度窓を開けよう。広い大気を流れ込ませよう。英雄たちの息吹を吸おうではないか。
生活は厳しい。魂の凡庸さに自己を委ねない人々にとっては、生活は日ごとの苦闘である。そしてきわめてしばしばそれは、偉大さも幸福も無く孤独と沈黙との中に戦われている憂鬱なたたかいである。貧と、厳しい家事の心配と、精力がいたずらに費える、ばかばかしくやりきれない仕事に圧しつけられて、希望も無く悦びの光線もない多数の人々は互いに孤立して生き、自分の同胞たちに手を差し伸べることの慰めをさえ持っていない。その同胞たちも彼らを識らず、彼らもまたその同胞たちを識らない。彼らはただ自分だけを当てにするのほかはない。そして最も強い人々といえども、その苦悩の下に挫折するような瞬間があるのである。彼らは一つの救いを、一人の友を呼んでいる。
(略)
だから不幸な人々よ、あまりに嘆くな。人類の最良の人々は不幸な人々と共にいるのだから。その人々の勇気によってわれわれ自身を養おうではないか。そしてわれわれ自身があまりに弱いときには、われわれの頭をしばらく彼らの膝の上に憩わせようではないか。彼らがわれわれを慰めるだろう。これらの聖なる魂から、明澄な力と強い親切さの奔流が流れ出る。彼らの作品について問い質すまでもなく、彼らの声を聴くまでもなく、われわれが彼らの眼の中に、彼らの生涯の歴史の中に読み採ることは、-人生というものは、苦悩の中においてこそ最も偉大で実り多くかつまた最も幸福でもある、というこのことである。
この雄々しい軍団の先頭にまず第一に、強い純粋なベートーヴェンを置こう。彼自身その苦しみの唯中にあって希念したことは、彼自身の実例が他の多くの不幸な人々を支える力となるようにということであり、「また、人は、自分と同じく不幸な一人の人間が、自然のあらゆる障害にもかかわらず、人間という名に値する一個の人間となるために全力を尽したことを識って慰めを感じるがいい」ということであった。超人的な奮闘と努力の歳月の後についに苦悩を克服し天職を-その天職とは彼自身の言葉によれば憐れな人類に幾らかの勇気を吹き込むことであったが-天職を完うすることができたときに、この捷利者プロメテは、神に哀願している一人の友に向かって「人間よ、君自身を救え!」と答えたのであった。
彼のこの誇らしい言葉からわれわれ自身の霊感を汲み採ろう。彼の実例によって、人生と人間とに対する人間的信仰をわれわれ自身の内部に改めて生気づけようではないか。
1903年1月
ロマン・ロラン
この冒頭のロマン・ロランの前置きは決して大げさなものではなく、ベートーヴェン自身が「僕の芸術は貧しい人々に最もよく役立たねばならぬ (Dann soll meine Kunst sich nur zum Besten der Armen zeigen.)」と述べています。
「悲哀はすでに彼の扉をたたきつつあった。それはベートーヴェンの内部に住みかを定め、そしてもはや再び立ち退こうともしなかった」から続く彼の苦難は、彼の生涯を貫きました。「ハイリゲンシュタットの遺書」からもわかるように、ベートーヴェンはそれに何度も屈しそうになったとは思いますが、最後まで屈することはありませんでした。
涙なしでは読めないような、苦難の連続であった彼の人生ですが、3度目の手術 (手術は、1826年 12月 20日、1827年 1月 8日、2 月 2日、2月 27日) を受けた後、4度目の手術を待ちながら 2月 17日に彼は次のように書きました。「辛抱しながら考える、一切の禍は何かしらよいものを伴って来ると」。この「よいもの」をロマン・ロランは死の解放と考えましたが、私は死という現実的なものではなく、不滅の恋人への手紙のなかにある「困難な何ごとかを克服するたびごとに私はいつも幸福を感じました」の「幸福」と同一なものであると感じました。
本書の最後は、彼の名言で締めくくられています。
「悩みを突き抜けて歓喜に到れ!」
Durch Leiden Freude.
ロマン・ロランによる注釈には、彼の疾患を知る上の重要な手がかりがあります。二つの例を示しましょう。
ベートーヴェンは調子の高い音より低い音のほうがよく聞き取れた。人の伝えるところによるとベートーヴェンは晩年には一本の木製の棒を用いて、その一端をピアノの箱の上にのせ、他を自分の歯のあいだにくわえていたといわれる。作曲するときにもこんな聴覚橋の方法で音を聴いた。
この記述は、彼が伝音性難聴であることを意味しています。伝音性難聴は、鼓膜などに問題があって音が気道からは上手く伝わらなくなりますが、骨動は保たれます。私が以前紹介したように、伝音性難聴である耳硬化症として矛盾しない所見です。
ベートーヴェンの最後の病気の経過には二つの段階があった。第一は、肺の病状が現れて六日後にそれがおさまったらしい。「七日目には彼は大変いい気分になって、起きて歩いたり読んだり書いたりすることができた。」第二は、血液循環に促進された消化器系統の障害。「しかし八日目に私は少なからず驚いた。午前の往診のとき、彼が全身に黄疸の症状を呈してよほど容態のわるいのを私はみた。激烈な吐瀉下痢の発作のため、その前夜は持ちこたえられるかどうか心配せられたほどだったという。」このときから水腫が来た。
(略)
「両脚の水腫がひどくなっった」
彼は「坐ると飲んだ」というほどのアルコール好きだったので、アルコール性肝硬変による黄疸と腹水と考えても良いかもしれません。肺の症状は、胸水なのか肺炎なのかはわかりませんが、下肢の浮腫は肝硬変によるアルブミン低下に伴う症状と推察されます。
最後になりますが、ベートーヴェンの曲の中には、ミサ曲や、「病に癒えたるものの神への感謝の歌」など多く神に関わるものがあります。しかし、彼が「キリストは結局はりつけにされたユダヤ人さ」と大声で話していたことなどを考えると、神を盲信しているわけではないことがよくわかりました。ひょっとすると、彼の信じる神はキリストではなく、もっと大きな「何か」であったのかもしれません。それは、我々が彼の音楽を聴いて感じる、あの感覚なのではないかと、ふと思いました。もちろん、信じる神に裏切られたと感じるような苦難の連続で、キリストを信じながらも自暴自棄になって言った可能性はありますが。