人体の語るもの

By , 2010年8月29日 10:58 AM

「人体の語るもの (小林隆、榊原什、古畑種基著、学生社版)」を読み終えました。科学随筆文庫の中の一冊です。

小林隆先生は明治 42年に兵庫県赤穂市で生まれ、甲南高校を経て東京大学医学部を卒業。高校では理論物理学の名古屋大学坂田教授と同学であったそうです。その後、長野赤十字病院医長などを経て東京大学医学部教授、日赤医療センター院長となりました。

産婦人科のポートレートは昭和 43年に書かれたエッセイですが、産科医不足の原因を既に指摘し、「産婦人科にはいることを逡巡させる最大の原因は、何といっても分娩が昼夜を全く問わないという事実である。生けるもの総て夜は眠り、休養が与えられるのに、産科医はその夜が与えられない。このことは恐怖感にさえ通ずる。また産婦人科の手術は一応完成し、新分野の展望が望み難い現状も、若い人々の開拓精神を満たせないことになる」と書いています。

その他にも、「無痛分娩について想う」とか「私は新しい産院を夢みる」など産科医ならではのエッセイを楽しむことが出来ました。

榊原什 (しげる) 先生は福井市生まれ。医師であった長兄が岡山に榊原病院を開設。国会議員となり、日本医師会副会長となりました。次兄は東京大学医学部卒。弟は岡山大学医学部卒業。父も医師あり、医師一家でした。榊原什先生は東京大学医学部を卒業し、上海の同仁大学教授を経て東京女子医科大学外科教授、日本心臓血圧研究所長、筑波大学名誉教授、榊原記念病院院長などの役職に就きました。

エッセイには「華岡青洲」についてのものがあり、榊原先生の医学史への関心の高さが伺えます。また、「ある環境」というエッセイでは、レオナルド・ダ・ヴィンチに触れ、心臓外科の種をまいた人物としています。レオナルド・ダ・ヴィンチは、豚の心臓に穿孔器を突っ込み、血液が噴出して心臓の動きが止まるのを観察し、心臓がポンプの一種であると結論しました。また、解剖で弁膜を発見し、血液の代わりに水を送り、中に入れた木の葉の動きから血流の方向を見ていたそうです。

「未来の医学」というエッセイでは、人工臓器について割り切れない思いを書いています。人工臓器のおかげで生き延びている患者さんが、手段がなくて死んだ場合と比べてどちらが幸せなのだろうかと悩んでいます。「医学の進歩が人類を幸福にしないのならばそれは進歩ではないのである」との言葉が重いです。

「医者と患者」というエッセイでは、その用語は使っていませんがドクターショッピングに触れています。

 方々の医師を歴訪して病名さえわからなかったが、あの先生にみてもらったら立ちどころになおったという話を時々聞く。この中には実際にからだに故障があり、その本源をさぐり当ててなおしてもらった場合もあろうが、医師をとりかえて転々とするような患者の場合には「気」から起こっている病気あるいは症状が多いので、精神的な意味でなおして貰ったというような場合も少なくないだろう。こんな患者に限って医師の言葉などは少しも聞かないで初めから終りまで一人でしゃべりまくり、どういう病名で、どういう養生が必要かというところまで自分で話するのである。その長話を静かに聞いてやればその患者は満足し、多くはなおってしまう。それを途中でさえぎったりしようものなら、あの先生はよくみてもくれなかったということになり、従って病気はなおらないのである。

よく見かける光景ですが、昭和 36年のエッセイと現在と比べて、時代が経ても変わらないものだなぁと思いました。「休日のプラン」では無給医局員の娯楽について書いていますが、都電で終点まで行って歩いて帰るというハイキングを挙げています。身近なところに幸せがあることを綴ったエッセイです。

古畑種基先生は明治 24年三重県生まれです。東京帝国大学医学科大学を卒業し、東京帝国大学法医学教室に入局しました。大正 13年に金沢医科大学教授や東京帝国大学教授、東京医科歯科大学医学部長などを務めました。日本の法医学者の中で幾多の重要な仕事をされました。

「血液型の話」というエッセイは、血液型について掘り下げて綴っています。1932年に B型物質は単純な構造ではなくて部分抗原から出来ていることがわかりました。進化の方向で BIII→BII→BIと進行すると推測されますが、BI~IIIを総て持つのが B型のヒト、ショウジョウ、カメ、カエルなどで、BIIIのみを持つのがモルモット、ヤギ、イヌなどです。ヒトが他の哺乳類と違って下等な生物と同様の部分抗原を持っているのが興味深かったです。A型質は AI~AIV、O型質は OI~IIIまであるようです。C型質は A型血球と B型血球に共通する抗原で、CI~IIIの型があり、ヒトはCI~III全て持ちますが、これはカメなどと同じで、CII・CIIIを持つウサギ、イヌ、ブタ、CIIIを持つモルモット、ヤギなどと異なります。

クロストリジウム・テルチアムは A型物質を特異的に分解します。つまり、この菌の出す酵素を A型血球に作用させると、A型の性質が失われて O型血球になるらしいのです。同じようにバシルス・フルミナンスは O型物質を分解し、バシルス・セレウスは B型質を特異的に分解するらしいです。一方で、バシルス・フルミナンスの出す酵素は L-フルクトースによって阻止されます。これらの分解・阻止実験を繰り返すうちに、「肺炎双球菌 XIV型と共通の抗原性をもつ物質にβ-ガラクトシール基が結合して、赤痢菌と共通抗原性をもつ不完全なる O型活性物質ができ、その上にα-フコシール基が結合して O型をもつ活性物質ができ上がり、その上に N-アセチル・ガラクトサミン基が結合して A型物質が生成され、O型活性物質にα-ガラクトシール基が結合して B型物質ができあがる」という血液型物質の体内における生成過程が説明されるようになったそうです。

昭和 42年に書かれた「親子鑑定の今昔」というエッセイは、実際の事件での鑑定が多く紹介されていて面白かったです。文学上に現れた親子鑑定についても纏めていますが、日本で親子鑑定を最初にやったのは瓊々杵尊とされています。尊が美しい乙女を妻にすると、一夜にして妊娠してしまい、本当に尊の子かと疑われました。そこで妻は燃えさかる炎の中で御産をし、尊の子なら死なないだろうとして出産しました。こうして命をかけて証明するという方法は、各国にみられます (子供を川に放り込んで実子でなければ溺れて死ぬという証明法など)。実は何の証明にもなっていないのですけれどね・・・。

古畑先生は三宅正太郎という大審院の判事に依頼されて、親子鑑定をしました。判事に「君はなかなかいい鑑定をしてくれた。君は名鑑定人である」と褒められ、古畑先生は「こんな難しい鑑定を命じて下さった三宅判事こそ、名裁判官である」と返したそうです。子供の取り違え事件で子連れの夫婦から鑑定を頼まれたこともあり、ABO式、MNSs式、Rh式といった血液型などから見事取り違えを証明しました。その鑑定の締めは「産院を訴えたり、看護婦を訴えたりしない方がよいだろうと助言しておいた。関係者はインテリだったから、自分の子供さえ手許に帰ればそれで充分ですと了解して帰った」と結ばれています。

最後のエッセイは「指紋は語る」です。上野正彦氏の「死体は語る」という本のタイトルと似ていますが、「指紋は語る」の方が先に書かれています。古畑先生は、指紋が人種によって出現率が違うことを利用し、アイヌのルーツを探しました。かつては古アジア人だとかモンゴリアンだとか言われていましたが、古畑氏はアイヌの指紋パターンが「コーカシン型」だと結論づけたのでした。今なら SNPsとかを用いてもっと詳しく分析できるのでしょうけれども、彼の時代の研究としては画期的なものであったのではないかと思います。

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2 Responses to “人体の語るもの”

  1. 小林 幹典 より:

    初めまして。お世話になります。
    小林隆の親戚になります。叔父はどんな立派な方だったんでしょうか?

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