いよいよ今回の目的地、ボンである。リューベックからボンまでかなり長い距離を移動することになるが、車窓からの眺めを楽しむ一日があっても良いと考えた。旅行中歩きづめでもあったので、電車の中で座っているのも良い休憩になる。
朝食を摂り、チェックアウトを済ませると、駅に向かった。駅の自動販売機でハンブルクまでのチケットを購入して、重い荷物を抱えたまま、ホームまでの階段を降りた。電車は1時間弱でハンブルクに着いた。ハンブルクで77ユーロを払って、ハノーバー経由、ケルンまでのチケットを購入。ホットドッグとビール「Holsten ピルシュナー」を買って腹ごしらえ。ドイツの都市間を結ぶのはインターシティー(IC)という鉄道網で、ほぼ1時間おきに走っている。
電車の中は思いの外混んでいて、座ることが出来なかった。スーツケースの上に座っていたら、女性の車掌が来て、席の空いている車両を教えてくれた。旅行中に親切にされると、普段の倍うれしい。「臨床医が語る脳とコトバの話」という本を読み進め、読み終えることが出来た。続いて「巨匠の肖像 バッハからショパンへ(海老沢敏)」を読み始めたが、名文調で書こうとしすぎるあまり、文章が空回りしている。読んでいて気分が悪くなって、読むのをやめた。携帯の音楽プレーヤーである「iPOD」を取り出して、ベートーヴェンのお気に入りの曲達を聴く。弦楽四重奏を順番に聴いて、交響曲第5番、第7番、ヴァイオリンソナタ第5番、第10番。10時5分にハンブルクを出た電車は、11時23分にハノーバー着き、11時31分にハノーバーを発つと、14時11分にケルンに着いた。
ケルンからボンまでは、同じく電車であったが、そう遠くはなかった。途中、浮浪者のような身なりの男性が近づいてきて、なにやら話しかけてきたので、言葉が通じない振りをした。景色を見ながら、iPODのクロイツェルソナタを丁度聴き終わる頃、ボンの駅に着いた。ボンからホテルまでどう行ってよいかわからず、駅の警察官に聞いたところ、「そこの駅から2駅だよ」と言われた。言われたとおりに駅に行くと、どっち方面の電車に乗るか聞き忘れたことに気付き、近くにいた人に聞いた。彼は「こっち方面に3駅」と教えてくれたのだが、警察官の言っていたことと違う。「まぁ、2駅目で降りて、1駅歩いてみればよいか」などと考えていると、ドアが閉まった瞬間、彼がドアを叩いて指を2本立てている。うなずいて、親指を立てて見せた。
駅を降りてから、重いスーツケースを引きながらさまよったが、ホテルの場所がわからない。数人に聞いたがみんな知らないと答える。4,5人に聞いて、やっとホテルにたどり着いた。ホテルは「Hilton Bonn」と名門ホテルだが、外装は古く、やや汚れている。ホテルのすぐ裏がライン川だ。チェックインして、荷物を置くと、外出することにした。目的地は、もちろん「ベートーヴェンハウス」である。
ベートーヴェンハウスの位置はややわかりにくいところにあるが、適当に大きめな通りに出れば、そこから標識が所々あり、それに沿って行けば良い。訪れる日本人が多いためか、ベートーヴェンハウスの斜め前のスポーツ用品店には、サッカーの中村俊輔の大きなポスターがあった。
受付では、荷物をロッカーに入れるように指示された。しかし、どうやっても鍵がかからない。空いているロッカーを片っ端から試していると、音に気付いた受付の人がやってきた。事情を説明すると、ドアの裏の鍵の部分に、小さなスペースがあり、ここに1ユーロ入れるように指示された。鍵は簡単に掛かった。
中では、日本語の解説を記した小冊子を受け取り、それを見ながら展示室を廻った。展示室にはベートーヴェンの縁の品が所狭しと並んでいた。そこに展示されていた補聴器はかなり巨大なサイズであった。ベートーヴェンは当時、このように大きな補聴器を使わざるを得なかったのだ。それは、昔の蓄音機のスピーカーを連想させるものだった。その他、書簡や彼の使用していた楽器なども展示されていた。
私がかなり長い時間惹き付けられた展示物は、まずベートーヴェンのライフマスクとデスマスク。ライフマスクは生前のある時期に型をとったもので、デスマスクは死体から型をとった彫像。同じベートーヴェンの顔を表していたが、そのギャップに驚いた。デスマスクは頬が痩け、彼が如何に激しい闘病生活を送ったかを物語っていた。彼の死因は肝硬変とされ、大量の腹水に悩まされていたと言われているが、肝硬変の末期ということは、かなり低栄養状態だったに違いない。彼の闘病生活と、弦楽四重奏曲第15番に彼が書き込んだメモ「病が癒えたことの神への感謝の言葉」が頭の中を駆けめぐり、そこから動けなかった。次に惹き付けられたのが、ベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲(第16番)の最終楽章の自筆譜だった。 冒頭には「Der schwer gefasste Entschluss(ようやくついた決心)」と書かれ、その右に二つの小さなスケッチがあり一つは「Muss es sein?(=Must it be?=そうあらねばならぬのか?)」とあり、その右には「Es must sein!(そうあらねばならぬ)」と書かれていた。その哲学的な問いに足が止まった。幸い混み合った展示室の前にも、その楽譜に気を払っている人はいなかったため、独占的に見ることが出来た。この問いは、以後何度となく自問することになりそうである。最後に、ベートーヴェンが生まれた部屋を見た。この部屋に生まれた子供が、ここまで偉大な音楽家になるとは、誰が予想できただろうか。誕生の瞬間を夢想し、悦に入った。
一通り展示を見終えると、受付の隣の部屋に、CDが流れていた。椅子がいくつか並べてある。その一つに座ってCDに聴き入った。曲はヴァイオリンソナタ第7番。私が以前舞台で弾いたことのある曲である。時間が経つのを忘れて聴いていた。
受付に戻ると、いくつかの展示物が売ってあった。趣味の悪いのは、彼のライフマスクとデスマスクの等身大コピー。そんなもの飛行機に抱えて乗るわけにもいかない。部屋に展示したい気持ちはあったが、そんな死人から型を取った彫像を部屋に展示している男性と結婚したい女性はいないだろう。まぁ、結婚は別問題かもしれないが。
結局購入したのは、弦楽四重奏曲(第16番)の最終楽章の自筆譜の写真が印刷された葉書、当時の楽器で演奏された弦楽四重奏曲第4番のCD、展示品の写真を多数収録した本、ベートーヴェンの肖像画のポスター。弦楽四重奏曲のファクシミリ(コピー)がないか受付の人に聞いたが、あるのはピアノソナタと交響曲第6番だけ。諦めることとした。
ベートーヴェンハウスを出てミュンスター広場まで出かけると、野外の舞台で若者達が室内楽を演奏していた。その前には夜店が並んでいて、人がたくさん集まっていた。どうやら若者達が今後するコンサートのためのイベントだったらしく、コンサートのちらしを配っていた。そのちらしを配っている人を見ると、電車の中で会った浮浪者風の男性。人を身なりで判断してはいけないと思った。広場では風船で遊んでいる子供がいて、子供の手を離れた風船が、風に吹かれて少し飛ばされていった。風船の中が空気だったためか、地面に落ちていったのだが、それを近くにいた男性が、器用にリフティングを始めた。楽しそうにリフティングしていて、それを周りの人たちが温かく見ているのを見て、ドイツ人のサッカーに対する感情がわかった気がした。
その後、ホテルの裏のライン川を眺めに行った。数日前に雨が降っていたためか、川の水は茶色く、少し増水しているようだった。想像していたライン川のイメージとは少し異なったように感じた。
ホテルに戻ると、食事を摂ることにした。ホテルのレストランは、地下にあり、やや狭い感があったが、落ち着いた雰囲気であった。ステーキを頼んだが、味はそこそこ。途中蝿がしつこく飛んできて、興ざめだった。ドイツ旅行最後の晩餐なのに。最初にドイツビールを飲み、次にドイツワインを頼んだところ、「Now?」と聞かれたので、「Now.」と答えたところ、「No.」と受け取られてしまった。「Now」と「No」を間違えるくらいだから、余程私の発音が悪かったのだろう。だが、相手のヒヤリング能力が低いと自分を慰めることにした。
コンサート会場はホテルから100メートルもなかった。ボン音楽祭のオープニングとあって、偉い人たちがたくさん挨拶をしていた。あまりに挨拶が長くて、チューニングが狂うのではないかとやきもきした。オーケストラはPhilharmonia Orchestra、指揮はEschenbach。ハンブルクで聴いたメンバー達である。ハンブルクでは気付かなかったが、かなり国際色が豊かで、黒人やアジア人など様々な国籍の奏者がいた。更に「弓の毛が赤」というユニークな奏者もいて、これは初めて見た。コンサートは交響曲第1番(ベートーヴェン)で始まった。演奏は文句のつけようのないものだった。2曲目はMatthias Pintscher作曲の現代曲。声楽とオーケストラの対比をテーマにした曲に思われるが、途中で飽きてしまった。それほど良い曲とは思わなかったが、演奏が終わると、拍手喝采。コンサート会場は非常な盛り上がりを見せた。休憩にスパークリングワインを飲むと、後半は私の最も好きな曲の一つ、交響曲第7番(ベートーヴェン)だった。私が特に好きなのは第2楽章で、一つの単純なリズムをもったフレーズが徐々に盛り上がり、大きな波となるが、深い悲しみを内蔵している。最終楽章は歯切れ良い、明快なリズムの中、軽やかな盛り上がりを見せる。
コンサートが終わって、ホテルに戻る途中、ライン川沿いを歩いた。橋の明かりが水面に生えて幻想的だ。コンサートを思い出し、頭の中で反芻しながら、川を眺めていた。幼い頃読んだ伝記の記憶では、父から厳しくされたベートーヴェンはライン川の畔で佇んでいたらしいが、川を眺めていると心が不思議と落ち着く。昼間に見たときと違って、闇に溶け込み川は深緑から黒っぽく見える。さっき飲んだアルコールのせいか、急に尿意を催してきた。周りに誰もいないのを確認してから、「Nature calls me.」とつぶやいて、俗に言う立ちションと相成った。ライン川は俺の尿をたたえて今日も流れ続ける。
ホテルに戻るとBarに入った。バーテンダーは綺麗な女性だ。「Caipirinha」というブラジルのカクテルを飲んで、全身の筋肉を弛緩させる。会計の時に部屋番号を聞かれたが、これは会計処理のためで、余計な期待はしなかった。もう30歳だから。