ウィーン(2008年12月29日〜2009年1月4日)

ウィーン第3日目

 バイキング形式の朝食をとるときに、シャンパンも置いてあることに気付いた。何たる心遣い!さっそく頂く。

 午前中はウィーン散策だ。これまでに何度も訪れたが、まだ見るところは色々ある。シュテファン寺院西部の Kohlmarkt通り沿いにショパンが住んでいた家があり、訪れると現在は土産物売り場になっていた。しかし、銘板には、ショパンが住んでいたことが記してあり、この建物で街がないことが確認できる。同じ通りのすぐ近くには、ハイドンが住んでいた家がある筈だが、残念ながらそのことが書かれた銘板を見つけることはできなかった。

 続いてシュテファン寺院北西部にある Rauhensteingasseにモーツァルト最期の家を訪れる。ショップとなっている建物に、モーツァルトの名前の銘板を見つけた。 祭壇

 シュテファン寺院に戻り、モーツァルトの葬儀を行った祭壇を見る。入り口に頑丈な鉄格子が付いている。銘板のおかげで、その場所がそうであると確認出来た。これでモーツァルトの死の前後に関する施設を訪れるという、今回の旅の目的の一つを果たした。彼の晩年の不遇と、ウィーンの厳しい寒さが重なった。

 あまりの寒さに、近くにあった喫茶店に入り、ホットワインを注文した。この寒さでは、温めたワインがとてもおいしい。

 一旦ホテルに戻って、荷物を置いたついでに仮眠をとった。

 日本食が恋しくなり、千駒という店に入った。ショーウィンドウのメニューが非常に魅力的だったのだ。店員の日本人は感じの良い方で、音楽関係者でバイトしているのだという。ところが、残念ながら味はイマイチで、出てきたラーメンは伸びている。また、鮭が土臭いのだけど、これはオーストリア、ドイツ、どこでもそうだった。素材自体、日本の魚料理と比べてあまりよくないのかもしれない。店員が気を遣って、「口に合わないのだったら代わりの物を持ってきますよ」と言ってくれたけれど断った。お互いに申し訳無さそうな表情をしていて、心が痛んだ。

コンサート

 食事を終えると、いよいよ楽しみとしていたコンサートだ。大晦日、ジルベスターにウィーンで第九を聴くのは、なんと贅沢なことだろう。場所はコンツェルトハウス、ウィーン交響楽団、指揮 Marc Minkowski、ウィーン Singakademie合唱団、独唱は Sandra Tattnigg (Sopran), Yvonne Naef (Mezzosopran), Endrik Wottrich (Tenor), Konstantin Wolff (Bassbariton) だ。

 オーケストラは対向配置。第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンがそれぞれ左右で向かい合う配置だ。まず第一楽章、コンマスの合図がわかりにくく、第一ヴァイオリン内で少しばらつきがあった。チェロのテンポが遅めで、管楽器はもっと遅かった。第三楽章では、のヴァイオリンパートの出だしのヴィブラートがやや過剰なのが気になった。その他は素晴らしく、フレージングも良かった。第四楽章は、低弦楽器が 4楽章のテーマを最初に弾く所、ピアニッシモが非常に綺麗だった。やがて音の洪水。音に溢れて、歓喜に至った。合唱団は、パイプオルガンのある通路に並んで、素晴らしい歌声を披露してくれた。(写真 1, 2, 3, 4, 5)

 素晴らしい演奏に満足して、ケルントナー通りに出かけると、イルミネーションに溢れ、若いカップルだらけだった。一方で、乞食も多かった。人々の心が大きくなっているときは、施しを受けやすいからだろうか?この耐えがたき寒さのなか、土下座して素手を差し出す彼らを見て、とても切ない気持ちになった。

 やがて、花火が上がり始めた。大晦日のカウントダウンはなく、みんなてんでバラバラに楽しんでいる。人ごみの中で爆竹が爆発し、その周囲に円ができている。帰り道では、別の場所で花火が上がっているのが見えた。街中が花火だ。中には、国立歌劇場目掛けてロケット花火を打ち込む者までいた。これがウィーンのジルベスターだ。ウィーンの人たちの陽気な一面が、一年で最も見られる時ではないだろうか (写真 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, 12)


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