楽しかったウィーン旅行もこれで終わりだ。しかし、ただでは終わらない。最後に一波乱があった。
13時 55分発 OS051に乗るつもりで、早めにホテルを出てチェックインをしようとしたが、うまくできなかった。時間が早すぎるからかなと思って、もう少し待ってからチェックインしようとすると、やはりうまくいかなかった。オーストリア航空のサービスカウンターに行くと、「ここに行け」と言われ、そこに行くと「あそこに行け」と、たらい回された。
最後にたどり着いたカウンターで、「オーバーブッキング」だと知らされた。担当の恰幅の良い男性が、「オーストリア航空が代替の飛行機を探すこと」を告げた後、北京経由なら当日の便があることを知らせてきた。私が、 「It is not safety, I think.(※中国は結核が蔓延していることが背景にある)」と答えたら、日本語で「平壌経由もありますけど」などとジョークを飛ばしていて、思わず笑ってしまった。私が北京経由の便を断ったため、翌日のバンコク経由での帰国となった。
この日の宿泊はオーストリア航空の負担で、空港ホテル (朝食・夕食付き)。本来は、帰国して翌日 1月 3日は当直の予定だったが、無理になった旨を上司に電話した。上司は家族旅行をキャンセルして代わりに当直をしてくれたと、後日聞いた。申し訳ない。
また、この時初めて知ったのだが、オーバーブッキングだと規定で、600ユーロ貰えるらしい。クレジットカード(Maestro Card)での受け取りとなり、ウィーン空港のキャッシュディスペンサーで 300ユーロをまず下ろした。一度に高額の引き出しが出来ないため、全額は下ろせなかったのだ。続けて、200ユーロを下ろそうとしたら、金が出てくる直前に機械がシャットダウンしてしまった (18:55なので営業終了?)。いったいどうなっているのかわからなかったが、誰に聞いたら良いかもわからない。この問題は、成田に着くまで pendingとした。
ホテルにチェックインした後は、何もやることがないので、ホテルのバーに行き、Elektric lemonada (Vodka, Blue curacco,Fischen, Zitronensaft) と Pina Colada (Weiser & dunker Rum, Batida de coco, Ananassaft, Coconut cream, obers) というカクテルを飲んだ。飲んだ後、寝ようと思ったが、とにかく騒音がひどい。
早朝にチェックアウトし、1月3日午前 6時 55分発の飛行機 OS1025便に乗り込んだ。氷点下 6℃と冷え込んでおり、航空機の翼に凍結防止の液体を吹き付けているのが、窓から見えた。
バンコクに到着したのが、22時 35分。ウィーンと打って変わって、非常に暑い。みんなシャツ 1枚なのに、私だけコートで重装備。コートを脱いで、バンコク 23時 55分発の NH916便に乗り込んだ。飛行機は、1月 4日午前 7時 35分に成田空港に到着した。1日遅れていなければ、そろそろ当直が終わるはずの時間だった筈だが、なにはともあれ、無事帰れてよかった。
ところが、この旅はまだ終わらない。なんと、私のスーツケースがないのだ。担当の ANA (全日空) の荷物カウンターから数時間後に連絡があり、ウィーンでスーツケースが見つかったので、別の便で乗せてくるとのこと。到着は、同日夕方、受け取りは翌日以降になるらしい。担当者にスーツケースの目印、中身を告げ、鍵を預けた。とはいえ、重いスーツケースを家まで送ってもらえることになったのだから、悪いことばかりではない。よく、海外旅行の時におみやげを現地のエロ本にするというネタがあるが、今回はそれをやらなくてよかったとつくづく思った。Lost Luggageの手続き中に職業を告げてあるので、危うく医師の品格が疑われるような結果になるところだった。
さて、ウィーンで 300 ユーロしか受け取っていない 600ユーロ入りのカードは、成田で確認したら、500ユーロ下ろしたことになっていた。200 ユーロ分は、機械がシャットダウンして受け取っていないのに、下ろした扱いになっていたのだ。キャッシュディスペンサーはウィーンのだし、カード会社は日本にないので、どこに言ったら良いのか分からないため、泣き寝入りになってしまった。
ということで、波瀾万丈な旅も終わ・・・らず、「スーツケースを破損したので、修理します」との連絡があった。さらに、届いたスーツケースには、誰か知らない人のカバンがくっついていた。カバンは持ち主の名前が書いてあったので、その旨を記した手紙をつけて、ANAの修理センターに送り返した。その後、ANAからの連絡はない・・・。
という、しっくりこない終わり方であったが、その分、印象に残る旅行だった。