朝食を数口だけ食べると、ホテルをチェックアウトしてフランクフルト中央駅に向かった。今日はボンに向かう日だ。急行を使うと早いのだけど、ライン川沿いをゆったりと電車で旅することにした。駅の立ち飲み Barでビールをひっかけると、電車に乗り込んだ。電車は雨の中、川沿いを走ってコプレンツへ。コプレンツは父なるライン川と母なるモーゼ川の合流する街だ。それを横目にボン行きの電車に乗り込む。コプレンツからボンまでは30分程度だが、かなりの田舎の中を走る。
ボンに着くと、ホテル「GUENNEWIG RESIDENCE」へ。このホテルは駅を出てすぐ右手にあるバス停に接した所にあり、非常に立地が良い。古い建物で、少しカビくさいのが玉に瑕ではあるが。
ホテルに荷物を置いて、シューマンハウスに出掛けることにした。地球の歩き方に、604〜607系統のバスと書いてあったので、ボン中央駅から 605系統に乗ったら、あさっての方向に 30分くらい連れて行かれてしまった。終点で降りろと言われたのを乗り続け、そのまま折り返し輸送。行き先を確認すべきだった。
中央駅に戻って、タクシーを捕まえると、10分くらいでシューマンハウスに連れて行って貰えた。運転手はシューマンハウスを知らなかったけれど、「Sebastianstrasse」と言うと、一発でわかってくれた。タクシーはベンツのオープンカーだったのだけど、トンネルで天井から雨が降ってきてびっくりした。
シューマンハウスは、ロベルト・シューマンが最期の2年間を過ごした診療所の一部である。2部屋が無料の展示室となり、残りは音楽図書館となっている。展示室には、彼の自筆譜、ロベルト・シューマンが妻のクララ・シューマンに送った最後の手紙、ブラームスからクララ・シューマンへのプレゼントなどが展示されていた。窓から外を眺めると、木の葉が茶色くなり始めていて、ここでその光景を 2度眺めていていたであろうシューマンの胸中を察して、感傷に浸った。
筆記体のドイツ語が難しくて読めなかったけれど、彼の闘病生活に関する資料をいくつか読んでいただけに、シューマンの死亡診断書にもこみ上げるものがあった。
シューマンハウスからの駅までの交通の便は悪く、タクシーで通った後を辿ってみることにした。どうせ数キロ程度のものである。坂を下って、トンネルをくぐり、左折してしばらく歩くと少し大きな通りに着く。そこからどっちに歩くべきか方向を失ってしまった。そこに運良く、中央駅行きのバスが通り、事なきを得た。
中央駅からベートーヴェンハウスに行くと、丁度博物館は閉館したところだった。前に一度訪れているし、中を見ることは諦め、ショップでいくつか買い物をした。弦楽四重奏曲作品 18のファクシミリ (自筆譜コピー) を買うことが出来たのはラッキーで、他にピアノソナタ「月光」のファクシミリを購入した。こういうものばかり買うから、スーツケースが重くなるのだ。
ホテルに荷物を置くと、旧墓地に出掛けた。旧墓地にはロベルト・シューマン、クララ・シューマン夫妻が眠っている。入り口の地図を見ていると、墓守の人がシューマンの墓まで案内してくれた。他には、ベートーヴェンの母親が眠っている墓もあるという。びっくりしたのは「カウフマン」の墓があったこと。学生時代婦人科の授業で、無月経の診断で頻繁に登場した人物で、「こいつのせいで試験に落ちたんだ」なんて懐かしく思った。
旧墓地からコンサートがあるベートーヴェンホールまで歩いて向かった。ベートーヴェンホールはわかりにくい位置にあるが、以前一度行っているので迷うことなく行くことが出来た。
コンサートのオープニングには、長々とした挨拶があったが、ドイツ語でちんぷんかんぷんだった。最初の曲は現代曲で、作曲者 Moritz Eggertによる自作自演。変な曲だった。「トムとジェリー」を、目をつぶって聴いたかのような印象。騒々しいアナウンス、断片的な BGM的音楽、デタラメな騒音、これらの複合体である。更にピアニストが踊りながら演奏したり、拡声器で何か叫んだり、ピアノの上に置かれたオモチャのピアノで演奏したり、紙飛行機を飛ばしたり・・・。売れないお笑い芸人を見ているかのようだった。芸術と名前が付きさえすれば何をしても許されるのだろうか。少し客観的に自分を見たらどうかと思った。少なくともクラシック音楽からは独立させて新しいジャンルに分類して欲しい。そして、私は純粋にクラシック音楽を聴いていたい。
次の曲は、クリスチャン・テツラフによるアルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲。この曲は、ヴァイオリンの開放弦である G-D-A-Eがモチーフになった曲で、アイデアの面白い曲である。テツラフの演奏は完璧だったが、残念なのは、彼が持っている楽器。ドイツ人作家のモダン楽器らしいのだが、音量に乏しくて、オーケストラに負けていた。以前、N響のヴァイオリニストと話したとき、「テツラフももう少し良い楽器を持てば良いと思うのだけど・・・」と言っていたのを思い出した。
テツラフのアンコールは、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第 2番第 3楽章。かすかに聞こえるくらいの音量で慎ましやかに始まり、どんどん立体的に音楽が構築されていく様は圧巻だった。とはいっても、息を吹きかけると、音楽自体が遠くに飛んでいってしまいそうなくらい繊細で、聴衆はみんな固唾を飲んで見つめていた。終わった後は、コンサート一番の拍手が送られた。
休憩を挟み、ベートーヴェンの交響曲第 3番「英雄」。この曲についての解説はいらないだろう。やや早めのテンポ設定で始まったが、凄く纏まった演奏だった。いくつか工夫が見られて、4楽章で弦楽四重奏の部分では、各パート 1人ずつでカルテットとして演奏していたのが面白かった。クライマックス少し前で弦楽器と管楽器がずれて崩壊しかけたのにはヒヤッとしたが、無難にまとめることが出来た。もう少し曲の終わりの盛り上げ方を工夫した方が良いと思ったのが正直な感想。それでも、ベートーヴェンの魅力は十二分に伝えることは出来ていたと思う。私の隣の席のカップルが、終楽章途中からいちゃつき始めて、男性が女性を抱きしめて聴いていたのは、イラッとしたけど、純粋に羨ましとも思った。
余韻に浸ってホテルのバーでカクテル「ウォッカレモン」を一杯だけ飲んだ。カクテルの種類があまりなかったのが寂しいところで、他の酒を飲もうかとも思ったが、24時くらいになっていたのでやめた。
朝食を少し食べただけで、一日何も食べなかったので、夜中少しひもじかった。ベートーヴェンでは胃袋は満たされないらしい。