ポーランドを知るための60章
「ポーランドを知るための60章 (渡辺克義編著・明石書店)」を読み終えました。
ポーランドが成立したのは10世紀後半であり、本書もそれ以降の歴史を扱っています。ポラニェ族による国ということから「ポルスカ」となり、ポーランドと呼ばれるようになったいきさつがあるようです。
ポーランドの西には神聖ローマ帝国があり、ポーランドにとっては脅威でした。そこで、ポーランドを統一したミェシュコ一世は、キリスト教を受け入れ、対抗することになりました。さらに、ローマ帝国の圧迫を受けていたボヘミア(チェコ)と結びつくため、ボヘミア王の娘と結婚し、キリスト教の先例を受けました。
しかし、ボヘミアと婚姻関係を結ぶとはいえ、ボヘミア教会の勢力拡大を危惧し、ローマ教会を受け入れることにしたのでした。ボヘミア教会を受け入れた国家としては、ボヘミア、モラヴィア、正教会を受け入れた国家としては、セルビア、ブルガリア、ロシア、ローマ教会を受けて入れた国家としてはポーランド、一時期のブルガリアが挙げられます。これらの事情から、ポーランド国民の9割がカトリック教徒となりました。また、正教を受けて入れた国々では、他のヨーロッパと異なり、キリル文字を使用することになったそうです。
この頃の首都はクラクフで、クラクフ大学も1364年に設立されています。
ポーランドは、1386年から1572年のヤギェウォ王朝で急速に領土を膨張させます。北はバルト海、南は黒海、東はモスクワ近辺、西はアドリア海まで領土を広げたそうです。内政としては二院制の議会が構成され、国会の同意なしでは国王といえでも法律が制定出来なくなりました。選挙は、一部貴族が行った選挙を、全貴族が選挙で承認する形が取られました。地動説の提唱者ミコワイ・コメルニク(コペルニクス)はこの時代を生きています。
しかし、ポーランドも18世紀後半には、隣接するロシア、プロイセン、オーストリアに、3回にわたり国土が分割され、消失してしまいました。民衆の蜂起が繰り返されたのもこの頃です。ポーランドは亡命政府をパリに作り、復興のため活動していました。フランスに亡命したポーランド人は多くいましたが、彼らはナポレオンなどに軍隊に配属され、利用されましたが、それは一方で利用価値があることを意味しました。ポーランドからフランスへというと、ショパンなどもそうですね。
第一次世界大戦後、ポーランドは独立を認められました。しかし、第二次大戦でポーランドにドイツ軍、ソビエト軍が侵攻し、亡命政府が再び活躍することとなりました。亡命政府は、ポーランド軍を各地に派遣することを積極的に求めました。軍隊を派遣しさえすれば国家として存続することになるからで、これは連合国の利益とも一致しました。第二次世界大戦中には、クラクフ近郊のアウシュビッツで多くのユダヤ人とポーランド人が殺されました。
第二次世界大戦後には、領土問題が残りました。ソ連はポーランド東部を返還したくなかったため、代償としてドイツ東部をポーランド領とさせることをテヘラン会談で認めさせました。その結果、多くのドイツ人がポーランド人に追われ、殺されたドイツ人は100万人を下らないと言われています。
歴史は一つの視点からは語れないと思います。大量のポーランド人がナチスに殺されたものの、こうした機会にポーランド人はドイツ人の大量殺人を行ってもいるからです。
大戦後、ポーランドは社会主義国家を設立しますが、紆余曲折を経て、ソ連から独立し、新たなる道を模索し始めます。この辺りの現代史も読んでいて興味が持てました。
さて、本書は単なる歴史の教科書ではなく、ポーランドの文化、風習なども書いてあります。
例えば、ポーランド人の名前。ポーランド人の名前は、女性は全て-aで終わります。ショパンの母は、ユスティナです。女性ピアニストのハリーナ・ツェルニー・ステファンスカも名前の最後が-aとなっていますね。
ポーランドには「名の日」があり、聖人の日が暦で決まっていて、自分の名前に対応する聖人を祝う風習があるのです。従って、そこから逸脱した名前は付けられません。従って、1983年のデータでは、男性名655例、女性例521例しか存在しないのだそうです。一方で、名字は種類が多く、40万種を超えると言われているのだとか。「・・・スキ」というのが最も多いのだそうです。そういえば、神経学の大家も「バビンスキ」と言いますね。ヴァイオリニストかつ作曲家のヴィエニアフスキも有名です。
最後に、ポーランドの医療事情を引用して紹介しておきましょう。医療が理想的になされる国は世界中になく、強いて言えば日本だと思いますが、ポーランドは悲惨なものです。
社会保障
健康保険・医療改革では、国庫負担を軽減するために各県に傷病給付金庫をつくった。この金庫は、2003年より政府管掌の国民健康基金(NFZ)に再編・再集権化された。ここに保険料を集中し、NFZが契約を結んだ医療機関でNFZによる医療費一部負担が受けられる仕組みにした。つまりNFZと契約していない医療機関では医療費全額自己負担となる。このように、医療の分野にも市場経済の波が押し寄せてきている。現在は、医療機関同士の競争が活性化することによって医療サービスが向上したというより、逆に医療を市場経済化したことによる混乱と弊害が拡大したといえる。例えば、NFZと契約している病院では満足いく治療が受けられず、プライベートの病院に通院すると莫大な費用がかかる。多くの国民にとっては、何のために保険料を支払っているのかという強い不満がある。また、病院の経費削減のあおりを受け、夜勤などの重労働を強いられている看護婦の給与が切り下げられ、彼女らは基本的生活もままならない状況におかれている。さらに、NFZの資金が枯渇し、医療給付自体ができない県も出てきている。
(参考)