物理屋になりたかったんだよ
正月以来、帰省することが出来、友人には会うことが出来なかったものの、家族で楽器を合わせたり、家庭料理を食べたりすることが出来ました。岡山はとても暑く、郡山よりは気候が温暖だと実感しました。
岡山から郡山の新幹線の中で、「物理屋になりたかったんだよ(小柴昌俊著)」という本を買い、あまりの面白さに新幹線の中で一気に読んでしまいました。物理学の本は、高校生時代に、「ホーキング宇宙を語る」と「神と新しい物理学(ポール・デイヴィス著)」という本を読んで以来ですが、初心者にもわかりやすく読むことが出来ました。彼はノーベル物理学賞を受賞していますが、若い頃音楽家を目指したことがあったり、後年、音楽家との親交もあるようです。
一冊を通じて面白かったのですが、特に興味深かった部分を引用します。
たしかに、わたしたちは幸運だった。でも、あまり幸運だ、幸運だ、とばかり言われると、それはちがうだろう、と言いたくなる。幸運はみんなのところに同じように降り注いでいたではないか、それを捕まえられるか捕まえられないかは、ちゃんと準備していたかいなかったかの差ではないか、と。
また、こんなことも書いてありました。
わたしは、モーツァルトとアインシュタインをくらべたとき、モーツァルトのほうがほんとうの意味での天才だと思っている。なぜなら、たとえアインシュタインが相対性理論を思いつかなかったとしても、ほかの人が論理をたどっていって同じ真理にたどりつくことは可能だ。ところが、モーツァルトがつくったあのすばらしい曲は、彼以外のほかのだれにもつくれないではないか。