波動
雑誌「Newton」の 2009年1月号の特集は「波動」でした。しかし、何と言っても目玉は「ノーベル賞 特別インタビュー」でしょう。
①「何もないところに種をまくのが楽しい」南部陽一郎・シカゴ大学名誉教授
湯川秀樹博士が「中間子論」でノーベル賞を授賞したのが、南部氏が14歳の時。南部氏が東大に進んだとき、湯川氏が研究した素粒子論よりもむしろ物性論がさかんでした。その物性論の中で超伝導が大きな問題となっていたそうです。超伝導を説明する完全な理論が出来たのが1957年で、バーティン、クーパー、シュリーファーの3人の頭文字をとって「BCS理論」と呼ばれていました。3人はノーベル賞物理学賞を受賞したのですが、シュリーファーにセミナーしてもらった南部氏は、論理の欠陥に気付きました。それはこの理論で「電荷の保存則」が破られていることでした。南部氏は2年半くらいかけてこの問題を解決したのですが、電荷の保存則が破れるが如く、カイラリティ保存則が破れることもあるのではないかと思ったそうです。
カイラリティとは、粒子のスピンが右巻きか左巻きかという区別のことで、本来は粒子はどちらを向いていても良いのですが、対称性の破れが起こるとある方向を向いてしまいます。
「対称性の自発的破れ」について一番わかりやすい例えが磁石です。高温では個々の磁石は熱運動で振動し、方向性はバラバラ(=対称)ですが、温度が下がると磁石の振動はある方向を向くようになります。最終的には全ての磁石が特定の方向を向きますが、これを対称性の自発的な破れと呼びます。
カイラル対称性の定義は、「どの立場から観測してもカイラリティが変化しないこと」です。つまり、例えば右向きのスピンを持った素粒子があった場合、静止している観測者から見ても粒子を追い越す動きをしている観測者からみても同じ向きである場合のみ「カイラル対称性が保たれる」と考えます。粒子を追いこす動きをする観測者から見ると、スピンの向きは逆向きになるわけですから、厳密には光速の粒子のみカイラル対称性が保たれることになります。宇宙が誕生したばかりの頃は極めて高温だったため、個々の素粒子は光速で飛んでいたため、カイラル対称性は保たれていました。しかし、宇宙が冷えてくると、真空に関する対称性が自発的に破れ、一部の素粒子はヒッグス粒子にぶつかりながら飛ぶようになったため、速度が光速ではなくなりました。光速で飛べない粒子に起こるのは、カイラル対称性の自発的な破れです。また、質量の定義は、「物体に力を加えたときの加速のされにくさ」でもあるわけですから、光速で飛べない粒子は質量を得ることになったとも言えます。南部氏の理論の骨子は「対称性が破れることによって素粒子に質量が生まれる」と言えるのかもしれません(なかなかややこしい話なので、実際に雑誌を買って読んでみて頂けると良いと思います)。
南部氏はノーベル賞の会見で、みんなが自分の方向を向いているのを見て、「対称性の自発的破れ」だと思ったそうです。ユニークですね。記者の「物理のたいていの問題は、いつも南部先生が足跡を残している」と述べると、南部氏は「別の人にいわせれば、何もないところに種をまくだけ、なんていわれます。まあ、それが楽しいからやっているんですけど。人のやっていることを追いかけるよりも、何かちがうことをやってみようということは、いつも思います。その方が、競争がなくて楽ですから(笑)」と述べています。考えることが違いますね。
②「素粒子物理の急激な発展期に居合わせた」小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授
小林氏が名古屋大学で入った坂田研究室は、湯川秀樹博士や朝永振一郎博士とともに素粒子物理の理論を作り上げた坂田昌一博士が開いたもので、ノーベル物理学賞を受賞した益川氏も所属していました。小林氏も益川氏もその後京大に移り、共同研究をすることになりました。
当時は「CP対称性」が問題になっていました。電荷(Charge)を反対にしたり、鏡に映すように空間を反転(Parity)させたときに、自然法則が同じように成り立つかどうかです。小林氏らは、クォークが4つだとCP対称性は破れないと考え、クォークが6つだと破れることを提唱しました。この理論が、高エネルギー加速器研究機構(KEK)のBファクトリー実験で証明されました。また、その後クォークが6種類発見され、小林氏、益川氏の予言通りとなりました。小林氏はこの理論を思いつくことができたことについて、「物理の発展段階がそういうところにあった。急激に変化する時期だったわけです。そこにちょうど居合わせた。それがいちばん大きいですね」と述べていますが、普段から素粒子像について良く議論していたとも述べています。マニアックな内容を、議論していくことで、他人が思いつかないアイディアを思いつくことができたのでしょうね。研究者仲間のマニアックな議論は、実は凄く大切なことなように思います。
③「こだわりを捨てたことで、新理論が生まれた」益川敏英・京都産業大学教授
益川氏はユニークな少年だったそうで、おもしろくないことは一切しなったそうです。母親が先生に「うちの子供は家庭で勉強をしていない。宿題を出してもらわないと困る」と学校に訴えたらしいのですが、先生が「宿題は毎日出しているけれど、やってこないのはお宅のお子さんです」と言われたのだとか。興味がないのでやらなかったのでしょうね。中学校のときの卒業文集で思い出を書くときにも「星の進化」について書いたそうですから、相当変わっています。
小林氏との研究生活についても回顧されています。「朝、10時ころから2時間ほど二人でいろいろ検討して、そのあとは小林君は小林君で勉強するし、私は私の仕事をするわけです。そして、帰宅後に少し休み、夜の9時ころから議論した話のつづきを考えて、翌朝持っていって小林君とまた議論をしていました」と言います。ここまで議論を続けて喧嘩にならなかったのでしょうかね?
益川氏からのメッセージが面白いです。
Newton – 最後に読者へのメッセージをお願いします。
僕の部屋には、物理の本はほとんどありません。数学の本が3架、あとは言語学の本です。知的好奇心をもつことや、あこがれを抱いて、広くいろいろなものにふれるのは大事なことだと思います。
研究をするうえでは専門的な勉強はもちろん不可欠です。しかし、専門的なことと同じ力を入れるのは無理ですが、50%くらいの力でいろいろな分野をのぞいておくことも大事でしょう。そういうことは、曲がり角にきたときにどちらに行ったらいいかを考える手助けになります。
国語嫌いだった益川氏が、言語学にはまっているのは面白いですね。全然関係ないと思っても、実は結構リンクしていることがあったり、プロセスが似ていたりするので、いろいろなことに興味を持つことは大切だと思います。
④「面白いと思ったらとことんまでやる」下村脩・海洋生物研究所特別上席研究員
下村氏は大阪から諫早に転校後、諫早の海軍工場で働いていました。終戦後、進学できずに2年間浪人しました。浪人3年目に、原爆で破壊された長崎医科大学付属の薬学専門部が諫早に移転してきたため、そこに入学しました。薬学専門部は長崎大学薬学部となりましたが、そこの教官が、同郷の先生を紹介してくれて、分子生物学で有名な江上不二夫氏の元を訪れたところ留守だったため、天然有機化学専門の平田義正氏の元で勉強することになりました。平田研究室で「発光生物のウミホタルをやってみないか」と勧められ、ウミホタルからルシフェリン(蛍光有機化合物)を精製する研究を始めました。ルシフェリンが酸化されると発光し、その化学反応を触媒する酵素をルシフェラーゼというそうです。下村氏は1955年から1年間研究し、ルシフェリンを結晶化することに成功しました。
1957年にルシフェリン結晶化に関する論文を書くと、1959年にプリンストン大学のフランク・ジョンソン教授から誘いの手紙が来て、1960年に渡米しました。ワシントン州のフライデーハーバーにクラゲがたくさんいて良く光ると教授から言われ、その発光物質の抽出を開始しました。
クラゲの発光物質は、光ると分解されてしまうので、光らない状態で抽出しなければいけません。しかし、どんな阻害物質でもそれは止められませんでした。行き詰まった下村氏は手こぎボートに乗って一人で沖に出て考えていました。そして「発光には必ずタンパク質が関係しているはずだから、pH (酸性度) をかえれば発光が止まるかもしれない」と思いつきました。帰って試してみると、pH4では光らなかった抽出液が、重曹で中和すると光ったのです。その時の様子を、下村氏は以下のように語っています。
Newton-発光を止める方法を突き止めたのですね。
私も、これで問題は解決したと思いました。それで、その濾液を研究室の流し台に捨てました。そうしたら、流し台の中がばあっと青白く、強烈に光ったんです。光が、百倍も千倍も増して、部屋の中が明るくなったように感じました。これは、流し台の中に何かあると。
Newton-流し台には、いったい何があったのですか?
海水です。魚を飼う水槽の海水が、つねに流し台に排水されていたのです。海水の成分はわかっていますから、すぐに「カルシウム」だとわかりました。その日のうちに、ジョンソン教授に光を見せるとおどろいていましたね。
その後、下村氏はオワンクラゲを1万匹くらいとって調べたのですが、「発光器」が壊れないように、全部手網でとりました。なんだか、肩にクラゲの霊が見えそうですね(^^;
とったクラゲは緑だけが光るので、緑を2~3ミリの幅で切り取り、硫酸アンモニウムで処理をして、カルシウム濃度を下げるEDTA溶液に入れ、抽出しました。カルシウムで発光するタンパク質、「イクオリン」の精製です。
1967年頃から生物学者達が筋肉の収縮を調べるのにイクオリンを使い始めました。筋肉の収縮にカルシウムが必要なことを確認するためです。この時期、下村氏は1年間に5~10万匹のクラゲをとっていたそうです。その後フライデーハーバーからクラゲがいなくなったのですが、下村氏は「海洋汚染か、温暖化などの天然現象が原因かもしれません」と述べていますが、乱獲の影響はなかったのでしょうかねぇ?
イクオリンは青色に光るのですが、オワンクラゲは緑色に光ります。下村氏は1962年の論文で、イクオリンを精製する課程で出てきた緑色の蛍光物質を4行程度の注釈として記載しました。この緑色蛍光タンパク質 (Green Fluorescent Protein; GFP) がノーベル賞受賞の理由となりました。
1979年に下村氏は GFP の発光団の構造を明らかにしました。GFPの発光団は鎖の内部にあるからこそ、生きた細胞の中で光らせることが出来るそうです。1993年にシャルフィー博士が GFP 遺伝子を生きた細胞に送り込んで光らせました。そしてチェン博士が GFP を改良し、様々な色の蛍光タンパク質を作り上げました。彼ら三人は今回ノーベル賞を同時授賞しました。分子生物学の教科書を読んでいると、GFP は研究に欠かせないツールですね。まさかクラゲから出発したなんて思いもかけませんでした。
最後に下村氏からのメッセージです。
Newton-どうすれば、先生のような発見をされる科学者がさらにふえるでしょうか?
役に立たないからやめなさい、といわないことでしょうね。一度面白いと思ってやりはじめたのなら、むずかしいとか経済的でないとかいわず、とことんまでやるべきです。そうすれば道は開けるのではないでしょうか。
ノーベル賞インタビューはこういった内容だったのですが、続く「波動」の記事も面白かったです。高校生時代の物理学の授業を思い出しながら、懐かしく読みました。
中でも興味深かったのが、波の模様。波の模様は、さまざまな方向からやってきた、さまざまな波長、さまざまな振幅の波を合成したものなのです。親友の馬券オヤジ氏が大学時代、「課題で水面のシュミレーションを書いているんだ」と言っていて、私にはちんぷんかんぷんだったのですが、要は波の合成の方程式を演算することだったのかなと、今気付きました。海の場合はもっと複雑で、個々の部位を見ると、上下に振動しているのではなくて円運動(もしくは楕円運動)をしているのです。したがって、海の波は縦波でも横波でもないのです。この円運動は、表面で最も半径が大きく、水面下に下がっていくにつれて半径が小さくなり、徐々に楕円形となり、底では楕円形が完全に潰れて往復運動だけになります。
これは私にも実感があって、昔おぼれて海底に座り込んでしまったとき、ただ往復運動だけが自分を動かしていた記憶があるからです。何故溺れたかというと、両親が昼寝をしているときに妹をボートに乗せて、私が泳いで沖まで遊びに行って、足がつかなくなって溺れたのです。昼寝から起きた両親は我々兄弟がいないのに驚いて、沖を見ると妹の乗ったボートが漂流している。で、私の姿が見あたらない。死に物狂いで探したそうです。ちなみにその時は、意識がなくなる直前に誰かの足につかまったら、母親だったという奇跡的な話があって、そこで見つかっていなかったら、水難事故で私はここにいないでしょう。
ちなみに、私にはもう一つ溺れた話があって、浅いプールと深いプールの間にある柵に頭を突っ込んだら抜けなくなってしまった時です。水の中でパニックになって、頭を引っ張っても抜けません。柵に頭を突っ込んだまま浮上しても、頭が水面から上に出ません。「このままじゃ死ぬ」と思って、「どうせ死ぬのなら、頭が抜けて死んだ方がマシだ」と思い切り頭を引き抜いて、生還しました。狭いところに頭を突っ込んで抜けなくなった話は他にもいくつかあり、「猫みたいにヒゲがあったら頭が入るかどうか判断できるのになぁ・・・」と考えたことがありますが、まぁ、何でもかんでも頭を突っ込むのはやめようという話でした。
オチが変な方向にいったところで、ノーベル賞と波動の記事の紹介でした。
(P.S.)
しゃんでりあの君が Woodshole MBSに留学していたそうで、コメントを頂きました。
1. 下村先生のWoodshole MBSは、本当にすてきなところでした。目の前が海で、あちらコチラにカブトガニやらウニのでかいのやら、北大西洋の海の幸があがっていました。食用ではなく、実験用ですけど。Ca induced Ca releaseの原点が、ここにありました。
2. ここです、ここです。ここで研究してました。
地元のバーが結構strictで、髭を生やしていてもIDがないと酒を提供しなかったのが印象的でした。
ノーベル賞級となると、身近なところでは「浅島誠」ではないでしょうかね。アクチビンの。