臨床医のための医療経済学入門
11月 10日に第 11回ニューロトピックス21という研究会に出席してきました。
今回は趣向を変えて二木立先生を招いて「臨床医のための医療経済学入門」という講演でした。
もったいないことに、参加者はまばらで、幹事などの教授を含めて10人程度でした。で、きちんと聞いていたのは、なんと 3人。質問の時間をしっかり取って頂いて、内容に興味のある人間にとっては、とても贅沢な講演でした。
二木先生は、私が雑誌「東洋経済」でよくお見かけする方で、今回は直接お話をして、名刺をいただくこともできました。すごくわかりやすい口調での講演でしたが、質問を受けたときの視線は厳しく、この分野に疎い私は質問するだけでしどろもどろになってしまいました。
内容は 90分みっちりでしたので膨大で、ここにはすべて書き切れませんが、さわりだけ紹介します。私がきちんと理解できていないので、間違っていたらすみません (汗)
・経済学の定義について:
広いリソースの動きであって、会計学や財政学(元々金の出し入れを扱う学問)とは異なる。
・近代経済学の定義:
「貨幣の媒介による場合、よらな場合いずれをも含めて、いくつかの代替的用途を持つ、希少性のある、生産資源」の有効利用・有効配分を研究する学問 (サムエルソン「経済学」)
①貨幣の媒介による場合、よらない場合を含めて
リアルコストはマネーコストと違う。
たとえば、家族による介護はリアルコストは 0ではないが、マネーコストはほぼ 0である。しかし、施設 (マネーコストは高い) による介護と比べるとリアルコストは高くなってしまう。
厚労省もこれらを認めるスタンスとなってきている。
②いくつかの代替的用途をもつ
例として、介護労働者は資格を持っていても、他の仕事をして良い
③希少性のある生産資源
有効配分をしなければいけない
※近代経済学の定義には、公平・平等という概念はない。特徴かもしれないが、演者は弱点かもしれないとは思っている。
・経済学の立場:
経済学者の意見は一つにまとまることはない。収斂しない。結局は価値観、好みの問題になる。
かつては、「近代経済学」、「マルクス経済学」という大きな二つの立場があったが、最近では「非新古典派経済学(制度派経済学、ケインズ経済学、マルクス経済学・・・)」と「新古典派経済学(マーケットにまかせれば良い:学問における主流派)」という二つの大きな立場がある。
たとえば、「経済学の立場では」と言われたら、信じてはいけない。新古典派経済学者に多い論調であるが、新古典派経済学の立場と非古典派経済学の立場は異なっていて、「経済学の立場」というものが有るわけではない。
日本の医療政策の現場では新古典派経済学者は少ない(10人もいない)。アメリカ医療以外は、新古典派経済学では説明できない。二木先生も非新古典派という立場である。
・医療は社会資本である:社会資本説、社会共通資本説
何らかの公的なものが必要である。しかし、医療がすべて公的な性格のものではない。
※ソーシャルキャピタル(社会関係資本)
鳩山氏(民主党)、谷垣氏(自民党)らが唱える、きずなが社会福祉を支えるとするイタリア発の考え方。社会資本説と用語が似ているが、全くの別物。
・外部性(外部効果):
ある経済主体の活動が、市場での取引を経ずに他の経済主体に与える影響。
たとえば、下水道を整えると感染症が減って、下水道を作った人以外も恩恵を受ける。つまりただ乗りができる(他人に期待)。よって市場原理が成り立たない。
ワクチン接種も同じである。
新古典派のロジックでよく公衆衛生を説明するのに良く用いられる用語である。
・効用:
人が財を消費することから得られる満足(!)の水準。
効果とは異なる。そもそも経済学の概念では「効果」という概念はない。
・サービス:
奉仕ではない。
「サービス一般の経済学的特性」「医療サービスの経済的特性」といった2段階で考える必要がある。
形のないものをまとめてサービスと呼ぶ。「無形のもの=サービス」であって、そこに価値判断は入らない。
※今回は、ヒュックス氏(二木先生が尊敬する方)の考えを中心に説明。
・サービスの経済的特性:
①サービスでは、生産=消費である
たとえば、散髪、ホテルのサービスなどが上げられる。医療もそうである。
②貯蔵できない(≒①)
商品としての自動車のように保管できない。
ホテルは曜日によって値段を変えて客を誘導している。医療も救急疾患をのぞいて日中に誘導しようとする。
③消費者の協力
消費者の意向が影響する。
④価格はサービスへの満足の対価
日本の医療では当てはまらないが、アメリカ医療はそうである。カリスマ美容師などが代表といえる。
⑤サービスの進歩はモノではなく労働力に「体化」される。
※最近はモノのサービス化が進んできている
・医療サービスの経済的特性:
①消費者の無知=情報の非対称性
医療では医師と患者の情報格差が大きい。他の分野では情報格差は小さい(もし情報格差が大きければ、売り手は買い手を騙すことが可能である)。そのため公的な質の担保、医療倫理が必要である→競争制限が必要。
②競争制限
①で解説
③「需要」ではなく「ニード(ニーズ)」が重視される
新古典派経済学にニードという概念はなく、需要があると言う。「金があって欲しいと思う=需要がある」。
アメリカですら人権意識があるので、「ニード」が理念的には尊重される(現実には違うが)。
※マーケティングの世界で「消費者のニーズに応える」は、正しくは「消費者の需要に応える」と言うべき
・新古典派の主張
「公平、平等」を無視すれば市場メカニズムが働くかもしれないが、患者がそう思うのは無理。
医療保険が代理人となれば情報の非対称性がなくなって、市場原理が働くのではないかとする考えが、アメリカで流行った。
→しかし、情報の非対称性が解決できても市場メカニズムは働かないとされている。例として、人工透析は患者がよく勉強するので情報格差は少ないが、かつては年1000万円、今は年500万円かかるので、情報の非対称性がなくなっても高くて患者個人では受けられない。市場原理は働かない。
・医療保険は患者より健康人の利益を代表する:
保険料を払っている人の多くは健康な人である。したがって、医療保険は患者より健康人の利益を代表し、保険料は上げられない。患者の利害と、健康人の利益は一致しない。
・主権:
市場原理では、売り手より買い手が強く、消費者主権である。つまり、買い手が金を出さないとものは売れない。
一方、医療では医師の判断のウェイトが大きく逆となっている。
・医師誘発需要論:
これには2種類ある。
①医師数が増えると医療費が増える
実証研究で否定されている。医師が多い国ほど医療費は少ない傾向にある。
②自由診療・出来高払い方式の保険診療下での医師による誘発需要
医師の裁量が大きいためで、完全に実証されている。しかし、乱診乱療を意味するのではなく、経済論理と医師の判断に解離があるためである。
支払い方法で医師の行動は変わる。定額、出来高どちらが良いというのはない。定額だと医療費の抑制になるかもしれないが、過小診療が起こりうる。
・その他
配付資料に膨大な推薦図書、「民主党政権の医療政策とその実現可能性を読む(『現代思想』 2009年10月号 180-188ページ)」あり