病理学からみたヒト脳の宿命

By , 2009年11月24日 6:33 AM

「病理学からみたヒト脳の宿命(桶田理喜著、Springer)」を読み終えました。

ヒトの脳は他の動物と比べてかなり発達していますが、その分犠牲にされたものがあります。たとえば、脳の容積を増やす過程で、直線であった動脈が湾曲を余儀なくされます。その結果、血行力学的に不利になり、脳虚血に陥りやすい部位が出てきます。これはヒト脳が抱えることになった宿命の一例です。

本書は、「大脳にみられる病変局在の選択性」「脳幹の一定領域を選択的に侵す病態」「脊髄の一定領域を選択的に侵す病態」の三章に分けて構成されています。

第一章「大脳にみられる病変局在の選択性」では、灰白質を選択的に侵す病態が考察され、全脳虚血の他に、動脈攣縮などの血管の機能異常について考察します。面白いのは白質を選択的に侵す病態です。一酸化炭素中毒の動物モデルで白質病変が形成されるかを検討し、「高度の低酸素状態と、それにつづく血圧低下(※一酸化炭素には血管拡張作用がある)による軽度の脳虚血が、大脳白質と淡蒼球(ときには黒質)の選択的病変発生に必要にして十分な条件である」との結論を得ます。その中で何故淡蒼球が侵されるかは、「動脈構築、すなわち主管に対して細い口径の穿通枝をもつ動物の宿命である」と説明されます。一酸化炭素そのものの毒性によるものではない証拠に、シアンソーダを用いても、低酸素と血圧低下が起これば、同様の病変が形成されるそうです。この章では、他に 5-FUや MTXの神経毒性、Binswanger脳症、CADASILなどを扱っています。

第二章の脳幹の一定領域を選択的に侵す病態では、まず Central pontine myelinolysis (CPM), pontine and extrapontine myelinolysis (PEM) が検討されますが、両者ともに好発部位は灰白質と白質の線維がサンドイッチ状になっている部位であり、部位特異性の原因になっているものと思われます。一方で、Multiple spongy necrosis of the pontine base (MSN) は、橋底部背側を好発部位としますが、これは穿通動脈進入部から最も遠位であり、動脈血流の減少によるものと解釈されます。本章の最後はビタミン B1欠乏性脳症 (Wernicke脳症) です。幾多の実験を通した後に得られた機序は、ビタミン B1欠乏で一次的に海綿状脳病変が生じ、二次的に病巣内血流の末梢抵抗増大がおこるとするものです。特に「下丘や視床などのようなアストロサイトと神経細胞突起が均一に密集している組織構造を持った領域」で海綿状病巣が形成されると、神経細胞の虚血性変化と出血が起こりやすいと考えられます。

第三章は脊髄の一定領域を選択的に侵す病態で、最初に Foix-Alajouanine病が紹介されます。本疾患は、動静脈短絡により静脈うっ滞が生じ、側索が好んで侵されます。そのほか、遅発性放射線障害、HTLV-1 associated myelopathy / Tropical spastic paraparesis (HAM/TSP) が扱われます。

本書を通じて感心したのは、疑問を持った点に関して、適切な実験をおこない、答えを導いていくプロセスです。「論文や教科書に載っていないのでわからない」というのではなく、自分で新たな知見を積み重ねて教科書を作っていくことが凄いと思いました。本書の中には、解決した問題に加えて、新たに見つかった課題も記されています。これは後世への宿題となるのでしょう。

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