ブラームスと女性達
12月11日のブログで、映画「愛の調べ」の感想として、「実際にロベルト・シューマン、クララ・シューマン、ブラームスの間に三角関係はあったのか?その根拠は何なのか?」と書きました。手許にある本にいくつかその根拠が載っていたので順次紹介していきます。実はシューマンの英語の伝記も数冊持っているのですが、今回は読む暇がなかったので、また今度 (その機会は来ないかもしれませんが・・・(^^; )。
まず最初、「ブラームス (門馬直美著、春秋社)」には次のように書かれています。
第4章 転機
このようにブラームスはもはや、クラーラなしでは生き甲斐を感じないほどになる。そして二人が親密になるにつれて、ブラームスのクラーラに対する気持ちは、敬愛から別の形の愛へと変わっていった。クラーラが十四歳も年長だということは問題ではなく、この三十五歳の女性の美点に惹かれ、多くの経験をもつという魅力にとりつかれたという形だった。
こうして、音楽史上に希有な数多くの手紙の交換が始まった。クラーラに対するブラームスの感情の移りかわりがそれらの手紙ではっきりと知られる。たとえば五四年十一月には、クラーラからの提案もあり、それまでの敬称的な Sie (あなた) から非常に親しい呼びかけである Du (お前、君) に変わった。また、五五年六月二十日のブラームスの手紙では、それまでの「敬愛する夫人」とか「親愛なる人」が「私のクラーラ」というような表現に変わっている。そしてまた、ブラームスは「私はもう君なしには生きていられない・・・私がいつも、そしてずっと愛しつづけるように、どうか私を愛して下さい」とまで書くようになる。しかし、クラーラは、このころまでのブラームスからの手紙のほとんどを破棄してしまっている。彼女の心境を語るのはその日記だけである。それにはつぎのように書かれている。
私たちの間にはこのうえない完璧な調和があります。私を惹きつけるのは、彼の若さではない。おそらく私自身のつまらぬうぬぼれでもないでしょう。いや、私が彼のなかで愛しているものは、その新鮮な情感、輝かしいばかりの才能に恵まれたその人柄、高貴なその心なのです。
ブラームスは間違いなく自分の気持ちを伝えていましたし、クララもまんざらではなかったようですね。
次に、「恋する大作曲家たち (フリッツ・スピーグル著、山田久美子訳、音楽之友社)」にはブラームスの女性遍歴について更に詳しく書かれています。
・ブラームスが女性と長続きする関係を築けなかったのは、若いころ家族を養う足しにハンブルクの売春宿でピアノを弾いていたせいだというのが、伝統的な見方である。
・(売春について) 彼は生涯に何度となくその愛にもどっていった。単純で、束縛されない-そして金で買う愛。
・ブラームスはおそらく過度なまでに女性を愛していたが、長期の関係は恐れていた。そしてどんな離婚裁判の判事にも負けないほど結婚については皮肉な見解を持っていた。「ぼくは運悪く結婚しなかった-だからずっと独身だった、ありがたい!」というのが、お気に入りの言いぐさだった。
・ブラームスは女性を信頼せず、たとえ将来愛情に発展しそうな友情が生まれても、突然感情を爆発させ、演奏や歌唱やらについて深く傷つける発言をして、相手を拒絶してしまうのだった。
・ローベルト・シューマンが二度と出てくることのなかったエンデニヒの精神病院に移されたあと、ブラームスはクラーラと子供たちと一緒に暮らしはじめた。(略)二月二七日以降、家計簿はブラームスの筆跡になっている。
・ブラームスとアガーテは婚約し、指輪を交換した。だが、一八五九年、クラーラがハノーヴァーで彼の≪ピアノ協奏曲第一番ニ短調≫を演奏したとき、彼は落ち込んだ。(略)不意に、アガーテと結婚すればクラーラを失うかもしれないと気づき、(略)奇妙な愛の手紙を書いた。(略)アガーテは怒って婚約を解消した
・一八六四年から翌年にかけて書いた二作目の弦楽六重奏のなかで、ブラームスはくりかえし彼女(※アガーテ)の名前を呼んでいる-音楽の棋譜法で可能な限り”文字の綴り”に近づけて。第一と第二ヴァイオリンがA-G-A-D-Eと演奏するパッセージの意味を、ブラームスは友人のヨーゼフ・ゲンズヴァッヒャーにはっきりと説明している。「この時点でぼくは最後の恋愛から自由になったのだ」
・よくブラームスと会っていたウルマンは、この作曲家との情事を告白した知り合いの若い女性について語った。彼女によれば、ブラームスは「情熱的だけど不器用な恋人」だったという。
・ヴィーンで、ブラームスは女声聖歌隊を結成し(ハンブルクでやったように)、そのメンバーのひとりにすぐさま結婚を申し込んだ。が、彼女がある医師と婚約したばかりなのを密かに知り、承諾の返事はもらえないだろうと悟った。またしても空振りに終わったのである。
ブラームスはクララ一筋という訳ではなく、それなりに女遊びもしていたようです。この辺は、貴族の娘に恋しながら、売春婦と遊んでいたシューベルトを思い起こさせます。しかし、ブラームスが一途に愛した女性はクララだけだったように思います。愛が芽生えかけたアガーテも、クララには敵わなかったことが、アガーテとの婚約解消のエピソードでよくわかりますね。一般に、男性は過去の女性を引きずるといいますが、ブラームスはその典型のようです。
最後に、「大作曲家たちの履歴書 (三枝成彰著、中央公論社)」には次のようにあります。
クララ・シューマン/理性と尊敬の念で結婚を踏みとどまる
二人は互いに恋愛感情を持ちながらも、理性と強い意志によって自制し合い、ついに結婚に至ることはなかった。彼らの交友は、時には喧嘩も交えながら四十三年間に及び、その間に交わされた手紙は数千通(破棄から免れたのは約八百通)にのぼったという。そこにはいたわりと尊敬、、そして紛れもない愛情がうかがえる。クララは死のまぎわに数行の文章を残したが、それはブラームスに宛てられたものであった。
ブラームスがクララに一方的に片思いをしていたのではなく、クララもブラームスを愛していたことが伝わってくる話です。ブラームスの片思いならクララからの返信もなかった筈でしょうし、ブラームスの気持ちはクララからの返信で更に燃え上がったのではないかと推測します。
こうした事情を踏まえると、複雑な愛の物語があり、クララ・シューマンを愛したロベルト・シューマン、ヨハネス・ブラームスを扱った映画が複数作られる理由が、十分理解できます。