化学者の日誌

By , 2012年3月22日 7:48 AM

「化学者の日誌 (朝比奈貞一、奥野久輝、水島三一郎著、学生出版)」を読み終えました。これまで「医学への道」「物理学者の心」「病院の窓から」「人体の語るもの」「医学の小景」と紹介してきた科学随筆文庫の一冊です。

朝比奈貞一氏の随筆「ニュートンの林檎」は、木から落ちる林檎の実と万有引力の法則発見の逸話について考察されています。この話を広めたのは、フランスのヴォルテール (1694-1778) だとされていますが、不思議なのは林檎 (pomme) ではなく、果実 (fruit) と書いてあることです。そしてこのヴォルテールの話は疑わしいという人が多いのだそうです。しかし、W.W.Rouse Ballの論文や、ニュートンの友人スタックリーの著述 “After dinner, the weather being warm, we went into the garden and drank thea, under the ahade of some appletrees, only he and myself, as when formerly, the notion of gravitation came into his mind. It was occasion’d by the fall of an apple, as he sat in a contemplative mood.” といった文章が、逸話が確かだとする根拠となっているらしいです。

このニュートンの林檎は、枯れる前に接ぎ木でふやされ、世界中に広まりました。日本に渡来したのは、昭和 37年に IUPAC (万国化学協会) の実行委員会が日本で開かれ、それに参加した英国の国立物理学研究所のゴードン・サザランド卿 (Sir Gordon Sutherland) が日本の学士院柴田雄次博士に林檎の子孫の木になった実を送ったときとされています。そして柴田博士の助手をしていた朝比奈貞一先生のもとに渡りました。実は直径 5センチくらいだったといいます。実を割ってみると、8個ある種子のうち 6個は皮ばかりであり、2個を育てることとなりました。1個は園芸家鈴木吉五郎氏と共に鉢に蒔き、1個は神奈川の園芸試験場に頼みました。園芸試験場の方は枯れてしまったそうですが、鈴木氏と蒔いた方は育ちました。

朝比奈先生達が種子を蒔くときに、林檎の実を食べてみたらしいのですが、著しく渋く、酸味も強く、甘味は少なかったそうです。渋みと、切った際の茶褐色の顕著な変色から、朝比奈先生はポリフェノール類の存在について触れています。

そうこうしているうちに、サザランド博士が「よく考えてみると、あの林檎の雌花はたしかにニュートンの林檎のものだが、花粉が果たして同種のものかどうかはわからないから、接ぎ木で仕立てた正真正銘のものを送る。それと比較してみたら面白かろう」と接ぎ木仕立ての苗を送ってきたそうです。この苗は防疫上の問題があったため、東京大学理学部付属の小石川植物園で隔離管理されることになりました

一方、朝比奈先生と鈴木氏が種から育てた林檎の木は、適当な時期に日本学士院のような日本の学界を代表する場所に移植することにしたそうです。この文章がかかれたのが昭和 43年なので、すでにどこかに移された筈ですが、その後の経過を知りたいものです。

ちなみに、小石川植物園に植えられたニュートンの林檎は、日本で 100箇所くらい植え継がれたらしいです。

朝比奈先生は他にたくさんの随筆を本書に書いています。例えば「中尊寺学術調査と調査日記」はさきほど世界遺産にも認定された藤原三代ゆかりの中尊寺を調べたときのものです。藤原家三代はミイラ保存されており、朝比奈氏らは遺体を鑑定しました。藤原清衡は 70歳以上で血液型は AB型、左半身が不随で長く病臥していたこと、秀衡は 70歳くらいでAB型、過度の乗馬を行っており、さらに脊椎カリエスを患っていたことなどを明らかにしました。

随筆「家康がもらった時計」では、家康が難破したフランシス号の乗員に便宜を図ったとして、1611年にメキシコ総督から送られた記念の時計について記されています。朝比奈氏はこの時計を調査し、再び動くように修理したらしいのですが、当初は管理する久能山東照宮が難色を示したそうです。その理由は、何と某大学眼科教授が家康の眼鏡を調べると言って、落として割ってしまったからなのだとか。紆余曲折を経て修理された時計は、 NHKで時を打つ音を流しました。この時計は昭和 30年に盗難に遭いましたが、徳川夢声氏が「蒟蒻問答」という番組で世の中に訴えた後、すぐ戻ってきたというエピソードが残っています。犯人の父親が昔時計屋をやっていたために、愛情から壊せなかったため無傷だったそうです。犯人はその後、小学生の新聞投書に心を動かされたのが動機で、盗品を返したと述べています。

続く奥野久輝氏の「シャーロック・ホームズと化学」という随筆は、名探偵ホームズが小説中で行っていた化学実験について取り上げています。また「先入観に囚われてはいけない」という趣旨の科学者の言葉と、ホームズが捜査の際に度々述べている言葉の類似性が示されており、読み応えがありました。

奥野久輝先生は詩を嗜んでおり、「早春雑感」にこんな句を残しています。

 名が好きで忽忘草の鉢一つ

また、「ブランクの意味」という随筆では、「教えるために、教えないことの必要」に触れていますが、出典を調べていて、寺田寅彦の「マーカス・ショーとレビュー式教育」という秀逸な文章を知ることができました。

水島三一郎氏の「科学と倫理」という随筆は、「われわれの時代は科学的知識によって得られた進歩を誇る。だがその知識をわれわれの神たらしめてはならない。それは奉仕することはできるが、指導することはできない。科学はその指導者の選択について潔癖ではない」というアインシュタインの言葉の引用から始まります。科学史を「科学のあけぼの」「天の科学と地の科学」「近代科学の誕生」「現代の科学理論」に分けて簡単に解説しているのですが、文章の締めくくりが上手いと思いました。

アインシュタインもいったように、科学はそれを利用する指導者を選択することについては全く無能であるが、自分自身が作られている理論に対しては鋭いまなこをもっている。そこではいい加減な取り扱いをすることは許されない。しかしそれは科学の各分野で働くひとの問題で、この一篇の目標としていることの理解には必ずしも必要ではない。

最後に是非わかって頂きたいことがある。それはわれわれのような老人になると、研究歴はながいから、わからないことは減ったというとんでもない誤解である。この誤解をとくために古人 (ギリシャ人と思うが) はうまいことをいっている。

人間の知識は球の内容のようなもので、その表面がわからない問題との境界面である。だから知識がふえればふえるほど、わからないことが多くなる。知識の少ないひとほど球面積は小さくなるから、わからないことは少ないと思う。だからここでわかったような話をだいぶ書いたが、実はわからないことがたくさんあるので、その面に関する質問をいただいても御返事申し上げられないことを御諒承願いたい。

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