一億人の茶道教養講座
「一億人の茶道教養講座 (岡本浩一著、淡交新書)」を読み終えました。基本的なことから書いてあってわかりやすかったです。
茶の湯と聞くと千利休を思い浮かべますが、キーパーソンから流れを見ると、次のような歴史があるのですね。
・能阿弥
書院飾りを制定した。足利義政に茶を出すための茶の湯の手前を確立した (東山茶湯)。
・珠光
能阿弥の「将軍家茶湯」に対照する形で「下々の茶湯」「茶数寄」を工夫した。「茶禅一味」を提唱し、「茶の修行は仏道修行にあり」と唱え、「侘び茶」の最初のコンセプトを確立した。珠光の茶湯を「奈良茶湯」と呼ぶ。(珠光は宗珠を養嗣にするが、その後継者が村田姓だったため、村田珠光とも呼ばれる)
・武野紹鴎
今井宗久、津田宗及、千利休の師。数寄茶屋の確立者と見られる。
・千利休
「草庵茶屋」の確立者。ただし、侘び茶をしたのは最晩年の三年弱。
・古田織部
千利休が豊臣秀吉に切腹を命じられた後、秀吉の意向の入った茶の湯を行った。具体的には、帯刀したまま茶が出来るようにした。藪内流、遠州流、石州流はこの系統。
・千宗旦
利休の孫。侘び茶を完成させた。宗旦の子供から表千家、裏千家、武者小路千家に別れる (子供同士が仲悪かったわけではない)。
・仙叟宗室
裏千家の基礎を築いた。
・如心斎天然
小間が主流の茶の湯を広間中心に変えた。
・玄々斎精中
裏千家の手前や所作を独立したものとして確立し、裏千家の基礎を作った。
茶碗の話も面白くて、楽茶碗はバクテリアが豊富な土で焼くので、バクテリアが燃やされるときに炭酸ガスが生じ、気泡となります。その結果、熱伝導率が低いので茶が冷めにくく、また軽いといった特徴が生じます。これが茶の湯のスタイルに影響を与えたのだそうです。
あと面白かったのは、侘びの英訳。辞書的には “beauty of asymmetry” と言うそうですが、本書にあった “imperfect beauty”, “beauty of imperfection” という訳語には説得力があります。日本文化に興味を持つ外国人に色々聞かれた時、この表現は使えるなと思いました。
私は茶の湯はやらないけれど、茶碗に地酒を入れて飲むのだったらやってもいいかなぁ・・・。みぐのすけ式酒道とか妄想しました。
最後に本書の序論にあった言葉を紹介。こういうのを読むと、日々精進しないといけないなと思います。
人間の「重さ」とは、教養の「重さ」です。人間は自分と教養の質の似ている人を深く信頼するようになるのです。