ジェイムズ・パーキンソンの人と業績
「ジェイムズ・パーキンソンの人と業績 (豊倉康夫編著、診断と治療社)」を読み終えました。
本書では、「An Essay on shaking palsy」と題する、パーキンソンの原著が紹介されています。この論文を読んだシャルコーは、「振戦麻痺 (shaking palsy)」を「パーキンソン病」と呼ぶことを提唱しました。
その他、パーキンソンの人生などが本書で紹介されています。
目次
・はじめに
豊倉康夫
・原典 An Essay on the Shaing Palsy
James Parkinson, 1817
・全訳 振戦麻痺に関する論文
豊倉康夫 萬年徹 岩田誠
・パーキンソンの原本は何冊残っているか
豊倉康夫
・ジェイムズ・パーキンソンの生涯(1755-1824)
高須俊明
・パーキンソンからシャルコーまで
岩田誠
・パーキンソン病の初期の歴史
豊倉康夫
・パーキンソン病に関する研究小史-パーキンソンの記載から今日まで-
橋本しをり 岩田誠
パーキンソンの原著では、最初に「振戦麻痺 (後にParkinson病と呼ばれるようになる)」の特徴が示されます。その論文の冒頭部分 (日本語訳) を引用します。
第1章 定義-疾病の自然史-症例呈示
SHAKING PALSY (Paralysis Agitans)不随意に起こる振戦、軽度の筋力低下を伴い、静止時にもあり、支えられた状態でさえも起こる振戦。身体の前屈傾向、歩き始めるとすぐ小走りペースに移行する。感覚および知能は正常。
この定義は、「Parkinson病」の特徴として、現在でもほぼそのまま用いられています。
従来の医学論文に出てくる振戦麻痺という用語は、曖昧な使い方をされていたため、彼は本症のふるえを明確に定義しました。
四肢のふるえは、はじめ Galenによって気付かれ、その後 Sylvius de la Boe (シルヴィウス裂の最初の記載者) らによって論じられているそうです。こうした歴史的背景も、論文には記載されています。
パーキンソンは、この疾患が脊髄由来であると考えていました。
パーキンソンは、もともと外科医であり、イギリスで最初に虫垂炎を論文で報告したのはパーキンソンなのだそうです。虫垂炎は、その 74年後に R.Fitzにより疾患として確立しました。
更に、パーキンソンは化石学者としても有名で、いくつかの化石には彼の名前がつけられているそうです (アンモン貝のParkinsonia Parkinsoniなど)。
パーキンソン病であった有名人として、Wilhelm von Humboldt (言語哲学者)、Fuller Albright (特発性副甲状腺機能低下症の報告者)、Adolf Hitler (政治家)、Salvador Dali (画家)、横井庄一、Muhammed Ali (ボクサー)、Joseph Babinski (Babinski徴候で有名) などが挙げられています。
パーキンソンの原著で、症例が6例報告されているのですが、その症例6は右片麻痺を生じた時 (脳卒中?) に振戦の改善があったことが記載されています。
私は、線状体の梗塞を有し、基底核の脳梗塞後にparkinsonismが生じた症例を報告しています。本書を読むと、私の症例は元々Subclinicalなparkinsonismがあって、脳梗塞の間は麻痺で目立たずにいたのが、後で麻痺の改善とともに顕在化したと考えても良いのではないかと感じました。
しかし、私の経験例では短期間の抗コリン薬による治療後parkinsonismは消失し、その後出現していないので、Parkinson病とは考えにくく、やはり私が報告したとおり vascular parkinsonismと考えるべきものかなとも思います。
Parkinsonが書いた論文は正当に評価されず、埋もれていました。その彼の業績を再評価し、Parkinson病と呼ぶことを提唱し、抗コリン薬 (ヒシナミン=ベラドンナ・アルカロイド;抗コリン作用がある) を治療に使うことを述べたシャルコーの偉大さを感じました。