Paganiniの手
今回は、「パガニーニの手」について語ってみたいと思います。
ヴァイオリン演奏史に燦然と輝く巨匠パガニーニ (1782-1840年)。彼は新たな奏法をそれまでの伝統に加え、彼が残した「24のカプリス」は、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ」が旧約聖書と呼ばれるのに対し、新約聖書と呼ばれることがあります。更に、ヴァイオリン以外の楽器の演奏家にも影響を与え、リストやシューマン、ブラームス、ラフマニノフらが、彼の曲を編曲したり、彼の曲を主題とした曲を発表しています。そうした曲を集めた CDを聴いて、改めて彼の凄さを感じます。私は、「ラ・カンパネラ」をクライスラーが編曲したものを練習したことがありますが、「ラ・カンパネラ」は彼のヴァイオリン協奏曲第 2番第 3楽章に対してつけられた名前で、ピアノ用にリストが編曲したものが有名です。
演奏を得意とした作曲家の手の特徴は、作曲される曲に反映されることが多いように思います。リストの住んでいた家に行ったとき、彼の手から型を取った彫像があったのですが、非常に大きなものでした。リストの曲は手が大きい方が弾きやすいことは、ピアニストにとっての定説です。ラフマニノフはマルファン症候群という説がありますが、病気により手が大きかったため、彼の曲も手が大きい方が弾きやすいと思います。ヴァイオリン演奏においては、サラサーテは手が小さい方が弾きやすく、パガニーニは手が大きい方が弾きやすいと言われています。では、パガニーニは手が大きかったのか?それについてもこれから検討したいと思います。
パガニーニは相当、下半身も超絶技巧を極めていたのか、様々な女性と関係を持っています。そして梅毒に罹患し、水銀を内服していた話が残っています。水銀療法は、当時の医療としては、スタンダードな治療です。晩年のパガニーニには手が震えていたという記載があり、慢性水銀中毒による症状が疑われます。
最初に彼に関する基本的な情報をおさらいし、続いて「パガニーニの手」についての論文を紹介したいと思います。
パガニーニの手については、彼の生きた時代に置いても注目されていました。彼の長年の主治医ベナティは次のように述べています。「音楽と病 (ジョン・オシエー著、菅野弘久訳、りぶらりあ選書/法政大学出版局)」から該当部分を引用します。
体型や肩や手足の独特な配置がなければ、今日私たちが賞賛するような、類まれな名演奏家としてのパガニーニは存在しなかっただろう。左肩が右肩より高く、そのため両腕を体につけて直立すると、体の半分が実際より長く見える。肩腱のしなやかさ、手首と前腕、さらに指骨と手全体をつなぐ筋肉の弛緩の様子もすぐわかった。手の大きさは普通だが、各部位の独特なしなやかさのため、一杯に広げると、親指から小指までの長さは倍になった。そのために、たとえば(手の位置は変えずに)左手の指の第一関節を外側に、いとも簡単にすばやく曲げることができた。生まれながら与えられた器官の配置を、パガニーニは練習によって完璧なものとしたにちがいない。
また、1939年にパガニーニと面識を得たピロンディもパガニーニの手について記載していますので、紹介します。出典は同じく「音楽と病」です。。
左手の指が右手の指よりも一センチほど長い。右肩の筋肉の付き具合のため、ヴァイオリンに弓をのせるときは、腕を延ばして大きく円をかくようにしなければならなかった。
しかし、オシエーは、「しかし、本当に彼の左手が右手より長かったかといえば、これはかなり怪しい。ピロンティは演奏をよく聴いたと語っているが、この話は明らかに嘘である。周知のようにパガニーニは晩年ほとんど演奏をおこなわなかったし、一九三九年頃は重病であったのだから」と述べています。割り引いて評価する必要がありそうです。引き続き、「音楽と病」より、執政官マッタアウス・ド・ゲタルディの手紙を紹介します。
一八二四年十月二日
演奏会の後、パガニーニと話しました。ひどく疲れた様子でした。演奏するときに体全体を使うからでしょう。肉体的にすっかり弱っていました。演奏中、左足でたえず拍子をとるのですが、これはかなり騒しいものです。上半身を傾けたかと思うと再び背を伸ばし、空中で二度ほど弓を動かすと、恐ろしい顔つきになりました。名手ですが、はったり屋だとも思います。その演奏スタイルに、人びとはたいそう喜びます。その夜、彼は左手を(トリエステから着いたばかりの)マルテッキーニ博士に見せました。パガニーニが左手で行なったことには驚きました。関節を外側に動かし、親指を後に曲げて小指につけてみせたのです。筋肉や骨などないかのようにしなやかに手を動かしました。博士が、これは激しい練習の結果に違いないと述べると、彼はあっさり否定しました。
前述のベナティの観察をオシエーが更に紹介し、私見を述べているので、その部分も引用しておきます。
ベナティは、パガニーニが末節骨を外側に曲げられることを確認している (左手をヴァイオリンに固定し、腕や手首を動かしてこの動きを行ったのだろう。前腕の筋肉と腱は、指先を外側に自由に曲げられるようになっていない)。機械的な反復運動で生じた外傷のため、靱帯がしなやかになった。指先を外側に曲げることができたのも、指に付随する靱帯が反復運動でしなやかになったからである。損傷を受けた靱帯は青年期以降に治り、反復運動の結果、実際に長くなったのかもしれない。反復練習のため、左手の靱帯は慢性的な捻挫を起こしていた (これにより異常なまでのしなやかさも説明がつく)。息子のアキレが若い頃のパガニーニに似ていたことを私たちは承知しているが、写真で見るかぎり、アキレはマルファン症候群の体型ではない。パガニーニが「中背」であったことも知られているが、これもマルファン症候群に一致しない。
オシエーの言を借りると、パガニーニの手の構造と体型の特徴は次のようになります。
1. 痩せてはいたが、異常に背が高いというわけではないので、マルファン症候群ではなかったであろう。
2. 左肩が右肩より高かった-ヴァイオリン演奏による体の変形。
3. 左手は標準的な大きさであった。
4. 普通とは違い、左手をすばやく動かせた (親指の異常なまでのしなやかさ。おそらく末節骨を外側に曲げることができた)。
5. 左手を広げると三オクターブをカバーできた。
「音楽と病」からパガニーニの病歴を引用して、論文紹介に入ろうかと思います。
年 | 症状 | 診断(医師) | 治療 |
---|---|---|---|
1820年 | 慢性の咳・体重の減少 | 肺結核 | ルーブ |
1823年 | 慢性の咳・体重の減少 | 潜伏結核(シラ・ボルダ) | 水銀・アヘン |
1824年 | 腹痛・歯肉炎・口内炎 | ルロワ | |
1828年 | 歯肉炎・口腔痛 | 歯性膿瘍/顎の骨髄炎(ヴェルガーニ) | 抜歯・アヘン |
1828年 | 音声障害・間欠性排尿困難 | 精神病の体質 | |
1832年 | 唾液過多・体重の減少、視力低下・運動障害?視野狭窄、人格変化・知的活動の困難 | 水銀中毒(フランシスコ・ベナティ) | (水銀)治療中止、ルロワの継続、睡眠薬の継続 |
1834年 | 最後の演奏会出演 | ヴァイオリニストを引退 | |
1837年 | ベルギー、リヴァプール、ニースでの低い評価 | ||
1837年 | 昏睡状態・尿閉 | 膀胱炎 | カテーテル法 |
1838年 | 失声症/水腫・呼吸困難、振戦 | (シュピッツァー) | |
1840年 | 喀血・死亡 |
さて、以上の基礎知識を持ったところで、実際の論文に当たって見ましょう。
1967年、Richard D Smithらは「Paganini The riddle and connective tissue」という論文を JAMAに掲載しました。Paganiniの病歴について詳細に記してある論文で、結論としては Ehlers-Danlos症候群か Marfan症候群を疑うが、何とも言えないというものになっています。「We do not have sufficient evidence for a definite diagnosis of any of the recognized connective-tissue disease.」とあります。一方、パガニーニの手のサイズ (“There revealed a hand of normal shape and average length. It was certainly not unusually large, with the thumb extending 67 mm (2 5/8 inches) and the index finger 101 mm (4 inches) from the peak of the metacarpophalangeal joint to the tip”) や、パガニーニの息子の話 (As for a familial tendency toward skeletal and joint abnormalities, Paganini’s illegitimate son, Achilles, said that his father’s left hand very similar to his own ” for length, strength, and structure”) などが記されており、読み応えがある論文です。
Myron R. Schoenfeldは1978年に同じ JAMAという雑誌で「Nicolo Paganini Musical Magician and Marfan Mutant?」という論文を発表しました。著者らは、「Marfan症候群が見つかったのは 1896年で、パガニーニが死亡した半世紀以上後である」と述べ、彼の失声は、大動脈弓部の動脈瘤の拡大により喉頭神経麻痺を起こしたからではないかと述べています。
それに対して、同年のJAMA Vol. 239, No. 18には、3人の医師からの意見が寄せられました。いずれも、Lettersとして JAMAに掲載されています。Frank Rosenthalは、Schoenfeldの考察の方法論を批判しました。W.F.Spenceは、1952年に Dubosらが著した結核説を挙げ、結核でも同様の症状は多々見られるとしています。Ernst Joklは最も痛烈で、「no evidence supporting the assumption」と表現したように、「根拠がない」とした批判をしています。また、Groveの辞書でパガニーニが喉頭の結核で死亡したと記載されていることを紹介しています。それに対する Schoenfeldの反論はないようです。
次に議論を呼んだのは、Ehlers-Danlos症候群です。Richard Dean Smithが1982年の Arthritis and Rheumatismという雑誌に発表し、Brief Reportという扱いですが、内容の充実した説得力のある論文です。最初の方で、1930年に Istelが Musical Quarterlyという雑誌に記した「The secret of Paganini’s technique」という論文から「He was able to span three octaves with ease, taking in one bow four C’s, four D’s or four E flats, a feats, a feat that astounded his contemporary musicians.」と引用しています。求められているのは、彼が一弓で3オクターブの音階を弾けたことをどう説明するかです。風刺画家は巨大な左手と、背のひょろ長い突飛な肖像画を描きました。ヴァイオリニストの中には、パガニーニが小型のヴァイオリンを使っているんじゃないかと考えましたが、そんなトリックはすぐにバレルでしょうし、彼が使用したヴァイオリンは現在Genoaの博物館に保管されています (私も見ましたが、「立派」な通常サイズのヴァイオリンでした)。そこで、Martecchiniや Sirus Pirondi、Bennatiの残した記録から Paganiniの手が非常に柔らかかったことが注目されました。また、Paganiniの右手の彫像の写真 (1926年 “The strad” に掲載された写真を転載) からは、手の大きさは特別大きくはないようでした。これらを踏まえた著者の意見は、joint hyperextensibilityを連想させる結合組織の病気で、Marfan症候群かEhlers-Danlons症候群が鑑別となります。しかし、Paganiniは中背で、クモ手ではなく、Marfan症候群は否定的なので、Ehlers-Danlos症候群の可能性が示唆されるという結論となりました。
このEhlers-Danlos症候群説は、Wolfの論文により物議を醸すことになります。
Wolfは、「If Clinical Chemistry Had Exsited Then…」と題された論文を1994年に発表し、さまざまな芸術家について論じましたが、この中に、Niccolo Paganini、Ludwig van Beethoven、Wolfgang Amadeus Mozart、Frediric Chopinが含まれています。Paganiniについては、彼の変わった演奏姿勢のスケッチを載せ、以下のように論じました。
Various disease affected the creativity and productivity of famous composers of classical music. A dark silver grey discoloration of the skin afflicted Niccolo Paganini (1782-1840), again allegedly because of the therapeutic utilization of mercury to treat syphilis. He also suffered from pulmonary tuberculosis, causing an emaciated, cachectic appearance. Ehlers-Danlos syndrome contributed to Paganini’s strange appearance, which so fascinated his musical admirers.
Paganini was born with Ehlers-Danlos syndrome, a connective tissue disease causing a diffuse looseness of the connective tissue. The Ehlers-Danlos 4 phenotypes, related to mutation in collagen type Ⅲ on chromosome 2, results in flexibility of all of one’s joints. This was a great asset to Paganini, contributing to his virtuosity as a violinist. His loose wrists and fingers enabled him to increase his reach on the violin fingerboard. Known as the “demon of violinists,” Paganini could play the scales with great rapidity.
As was the case with Cellini, if clinical chemistry had existed during Paganini’s lifetime, the darkened, silver grey appearance of his skin, allegedly caused by mercury ingestion, could have been definitely identified by examination of his urine for the presence of mercury.
Wolfの論文に、Dogan Yucelが反論しました。それは、1995年のClinical Chemistry 41巻 4号に掲載され、Wolfのコメントも同じ雑誌に掲載されています。 論文の内容を簡単に紹介すると、「もし今の技術があれば、尿検査から Paganiniが梅毒の治療薬である水銀中毒であったことが示せるのに・・・」という主旨です。論文中に、Paganiniが結合組織の異常である Ehlers-Danlos症候群、それも第2番染色体上にあるⅢ型コラーゲンの変異である type4ではないかと論じている部分があります。その根拠は、彼の得意な風貌と関節の柔らかさですが、それだけでは断定出来ないように思います。しかし、かなり断定的に論じています。Ehlers-Danlos症候群は稀な症候群で、私も実際に診察したことはありません。
Yucelの反論の内容は、「Ehlers-Danlos症候群には少なくとも10typeのphenotype (表現形) があるが、type4は最も重症型である。Ehlers-Danlos type4の主症状は、『薄く静脈が透けて見える半透明の肌、青あざが目立つ、動脈、腸管、子宮の破裂といったものが主症状である。皮膚や関節はこのtypeでは伸展性は普通である。動脈の脆弱さによって腹膜後壁または腹腔内出血による突然死、発作、ショックが起こるかもしれないし、また血管の破裂によるコンパートメント症候群も起こるかもしれない。』したがって、寿命は短いはずである。しかし、Paganiniは58歳まで生きた。また、パガニーニは梅毒、肺結核を含めいろんな重篤な病気に罹患していた。Paganiniは Ehlers-Danlos症候群 type3ではないか?type3はjoint hypermobility (関節がルーズで動きすぎてしまうこと) が主症状であり、生命予後良好である。」というものです。
それに対するWolfのコメントを要約すると、「Yucelの意見には一理ある。YucelはEhlers-Danlos症候群の type3だと言っているが、関節の hypermobilityを示すのは Ehlers-Danlos症候群の中でも、type1, 2, 3, 5, 6, 7, 8, 10などいくつかあり、他にもっとそれらしいのがあるのではないか。また現代の臨床化学技術があれば、phenotypeが特定出来るかもしれない (例として、type4; 異常なⅢ型コラーゲンの合成, type 6; lysyl hydroxylase欠損, type 7; Ⅰ型プロコラーゲンからコラーゲンへの変換障害、type 9; lysyl oxidase欠損による銅の利用異常、type 10; fibronectinの欠損)。ただ、type4よりは、むしろ type3かもしれないという意見は理にかなっていると思う。」というもので、Yucelの意見をほぼ受け容れています。
先ほど物議を醸した Wolfは2001年にWestern Journal of Medicineという雑誌に「Creativity and chronic disease: Niccolo Paganini (1782-1840)」というタイトルの短い論文を掲載しています。それによると、「間違いなく、Paganiniの名人芸は、際だった関節の柔軟さによる部分があり、それは遺伝性の結合組織病である Ehlers-Danlosないし Marfan症候群かもしれない。Paganiniの身体所見からは、Ehlers-Danlos症候群らしいが、10の phenotypeのうちどれにあたるかはわからない。遺伝子を調べれば参考になるかも・・・」となっていました。
私見としては、Ehlers-Danlons症候群に加えて、「Benign hypermobile joint syndrome」が鑑別になると考えています。これは、Ehlers-Danlos症候群のように関節の過可動を示すものの、関節症状以外の所見がないものです。この症候群は、E. Forrest Jesseeらが 1980年の Arthritis and Rheumatismに報告しており、関節炎や心疾患のリスクの上昇もないとしています。頻度としては、637人の血液ドナーを調べた結果 5%に存在したとしています。Ehlers-Danlos症候群とは区別されるべき症候群であるようです。
Paganiniについて、「Benign hypermobile joint syndrome」の可能性を論じた報告は、調べた範囲内で過去にありませんので、私が最初の提唱者の筈です。彼の特異な風貌を説明出来るかどうかが鍵ですね。
今となっては確定診断をつける術はありませんが、過去の記録から、推論してあれこれ考えるのも楽しいものです。
(2007年11月28日追記)
Ehlers-Danlos症候群 16例を調べた結果、側彎症が3例に認められたとする報告があります (Yen JL, et al. Clinical features of Ehlers-Danlos syndrome. J Formos Med Assoc 105: 475-480, 2006)。Paganiniの身体的特徴として、「左肩が右肩より高かった-ヴァイオリン演奏による体の変形。」と紹介しましたが、左右の肩の位置の違いは、Ehlers-Danlos症候群に合併した側彎症の可能性もあるのかなと感じました。