「北欧」はここまでやる。
今週号の雑誌「東洋経済」は、「『北欧』はここまでやる」という特集でした。特集には、冒頭から引きつけられます。
医療、年金、介護問題など、日本は今、社会保障にかかわるさまざまな難問に直面している。いずれも有効な解決策が見当たらない。
その背景にあるのは、社会の活力低下。つまり少子高齢化と格差社会の出現だ。OECD(経済協力開発機構)の調査では、日本は平均より半分以下の収入しかない国民の割合(貧困率)が、先進諸国の中でアメリカに次ぐワースト2位なのだ。「一億総中流」の時代はとうの昔に終わってしまった。
日本だけではない。市場経済を重視して規制緩和を求める「新自由主義」が世界に成長と反映をもたらす一方、貧富の格差は世界的な課題になりつつある。1990年代終わりから「第3の道」を標榜し、新自由主義と福祉政策を融合させようとした英国は、確かに福祉政策で一定の成果を上げた。だが、その水準は決して高くない。世界中が福祉政策とどう向き合うか、模索を続けているのだ。
経済成長を望むなら、”平等”は犠牲にしなければならないのか。
95年から2006年までの1人当たりのGDP伸び率と、平等性を図る指数であるジニ計数との相関を調べると、興味深い事実が浮かび上がる。GDPの高い伸びを示しているのは、むしろ所得の平等性が高い国々(ジニ係数の低い国)が多いのだ。少なくとも、ここからは成長と平等がトレードオフの関係にあるとはいえない。やはり、健全な中間層の存在こそが、経済社会を成立させる前提ではないのか。
格差社会の問題は、実は GDP成長率と大きく関わっていることが示唆されています。上記の文章の後に続くのは、経済開放が進んだ中国などを除くと、英国、北欧諸国など福祉政策に積極な国に GDP成長率が高い国が多いのだという事実です。
北欧諸国の社会保障政策は、高福祉、高負担として知られていますが、何故経済成長が可能なのかを、その後で論じています。その答えは、「産業構造が国内の需要と一致しやすい構造となっている」ためなのだそうです。日本の産業構造の象徴として、需要に乏しい道路を作り続けることなどが思い浮かぶことを考えると、説得力がありますね(少なくとも高度経済成長の頃には、それは需要の中心でした)。これからは、産業構造を国内の需要に合わせてシフトしていくことが大事なのではないかと考えさせられます。そうすると、介護とか、福祉は需要が多いのではないでしょうか。力を入れるべき方向性が見えてくる気がします。
そんな北欧の国、スウェーデンでも、医療問題は深刻なのだそうです。最大の問題はアクセス制限で、2006年には国民の 40%が医療へのアクセスが問題だとしています。そもそも、日本での年間受診回数 13.8回に比べて、スウェーデンでは 2.8回 (!) なのだそうです。また、「2006年 4月時点で、3ヶ月以上の専門医の診断を待つ患者はおよそ 5.7万人、手術を待っている患者は 2.3万人にも上る」のだそうですから、医療については、どの国も苦労してますね。
ここからは余談ですが、冒頭で述べた格差社会については、東洋経済の「日本人の未来給料」という特集で、面白い記事があります。年収 2000万円超の人はバブル以降 1.9倍に増えているとか、純金融資産 1億円以上のミリオネアが日本には 80万世帯以上存在するという一方で、生活保護を受ける世帯が急増(全世帯の 2%)しているとか、3人に 1人が非正社員だとか、二極化が進んでいるのがわかります。