さすがに数日間の疲れが蓄積し、気怠くてなかなか目が覚めず布団にくるまったままテレビを見ていた。選択肢が英語とドイツ語しかないため、英語の ニュースを見ていたが、そういう環境に慣れれば何となく意味がわかってくるから不思議だ。いつまでもそうしているわけにいかず、シャワーを浴びに行く。 ヨーデルを流しながらシャワーを浴びるのもすっかり日課のように違和感がない。シャワーを浴びているうちに空腹な事に気づき、それから食堂の受付の女性の 顔が浮かんだ。身だしなみを整え、会釈をして食堂に入る。ウエイターが入れてくれる食後のコーヒーを飲みながら、映画の中のような朝の過ごし方に少し浸っ た。
ウィーン大学は1365年に創設され、現在の建物は1884年に建てられたものだ。天使の彫像が建物の屋上を縁取っている。上り、建物の中 に入ると、右手に掲示板がある。左手には創学以来、毎年一人ずつの名前が彫られた石版がある。成績優秀者の名前だろうか。正面は中庭になっている。中庭に 出ると回廊があった。回廊にはウィーン大学を代表する偉人達 の彫像がずらりと並べられていた。そのうち一部の名前を挙げてみよう。「SEMMELWEIS (産褥熱の原因を突き止め、無菌法を実践)」「KAPOSI(カ ポジ肉腫を発見)」「SCHRODINGER(シュレディ ンガー方程式で有名)」 「DOPPLER(ドップラー効果で有名)」「MEYNERT(脳解剖学で有名な『マイネルトの基底核』で知 られる)」「FREUD(精神分析学の祖)」 「HANSLICK(ブラームスの親友で音楽批評家)」「ROKITANSKY(解剖学のロキタンスキー・アショッフ洞 で知られる他、ベートーヴェンの剖 検など)」「BILLROTH(現在でも使われる胃癌の術 式を開発し『近代外科学の父』と呼ばれる)」。歴史の重みがずしりと伝わってくる。日本にこれ程 の伝統を持った大学はない。
大学の玄関の向かいにベートーヴェンがかつて住んでいた家がある。 「Pasqualatihaus」と聞けばわかる人もいるかもしれない。家の玄 関からウィーン大学を見ると、間にはDr.-Karl-Lueger-Ringという通りと、金の彫像しかない。およそ50mくらい だろうか。引っ越し好 きのベートーヴェンが珍しく長期に渡って住み、「不滅の恋人」との恋愛真っ直中を過ごした家だ。銘板に「1804年から1815年にかけてたびたびベー トーヴェンがこの家に住んだ。交響曲第4、5、7番、フィデリオ、レオノーレ序曲第3番、ピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリン協奏曲、弦楽四重奏曲作品 59、95、その他の作品」とある。胸を躍らせて中に入ろうとしたが、鍵がかかっている。インターホンの上にたくさんの名前があり、そのうち一つに 「Beethoven」と書いてあった。まさか「Beethoven」が住んでいるわけはないし、同姓の人かな?と思ったが、ここまで来て引き下がるつも りはなく、無理を承知でその部屋の番号のインターフォンを押してみた。「Hi!」と返事があり、「ベートーヴェンに会いに来ました。博物館は開いています か?」と伝えた。「今開けます」という返事とともに鍵が開いた。旅をすると、tryしてみることの重要性を痛感する。中に入ると、窓から大学周囲の景色が 一望できた。ベートーヴェンはこの景色を眺めながら、不滅の恋人を想っていたのだろう。そこから数々の名曲を生み出していった。あやかりたいと思う。ベー トーヴェンがこの家で作曲した曲のファクシミリが飾ってあるのを一通り眺めた後、それらの曲のCDが視聴可能な事に気づいた。椅子に座って、目を閉じて演 奏を聴く。気が利くことに、いろいろな演奏家の演奏を揃えてくれている。ベートーヴェンが作曲した家で聴く演奏は、格別のものだ。
建物を出て歩いていると、女子高校生らしき二人組が話しかけてきた。楽器を指さして「ヴァイオリン?」と言っている。人懐っこい人達だ。上手いこ とを言いたかったが、とっさに出てこなかった。ましてや相手はドイツ語だ。おどおどしているうちに、彼女たちは笑いながらどこかへ言ってしまった。幸せな 気持ちが半分と、惨めな気持ちが半分。
「ジグムント・フロイト記念館」に向かう。道に迷い、近くを歩 いていた男性に道を聞く。相手がドイツ語しか話せないためジェス チャーでの会話だったが、だいたい言いたいことはわかった。その通りを歩いた。また若い女性達が歩いていて、すれ違う時「中国人ですか?」と話しかけられ た。 ヨーロッパの人間に、日本人と中国人を見分けるのは困難だろう。我々がドイツ人とオーストラリア人を見分けられないように。その後は何を言っているかわか らずに「What?」を連呼していた私に愛想をつかしたのか、それとも飽きたのかどこかへ行ってしまった。こんな時洗練された行動をとりたいと思う。 ジョークの一つでも浮かべば良いのだが。
建物の2階がフロイト記念館になっていた。受付でロッカーに荷物を入れるように指示さ れ、入場料を払って中に入る。フロイトの書斎や待合室、診察 室を見学した。家の内装はとても落ち着いた雰囲気で、患者達もリラックス出来ただろうと思う。記念館自体はそれ程広くなかったが、見学客がたくさんいた。 記念館から市庁舎に向けて歩く途中に「ジグムント・フロイト公園」が あった。歩き疲れてベンチで少し休んだ。10月ともなると空気はかなり 冷たかったが、 日は差しており、まばらに人の姿も見えた。
ヴォティーフ教会を右手に、ウィーン大学を左手に進 み、市庁舎(Rathhaus)にたどり着いた。市庁舎周辺はかな り広い敷地になっ ていて、公園もあった。公園の中には、音楽家の銅像も建っていた。市庁舎に向かって右手がウィーン大学、左手が国会議事堂である。
路面電車でKarntner Ringに向かう。路面電車だとウィーンの中心をなすRing沿いの景色を座りながらにして楽しめる。Karntner RingからKarnter Strasseに入る。通り近くにスカイ・レストランがあり、昼食を摂った。荷物を受け付けで預けてレストランに入ると、礼儀正しいウエイターが出迎えて くれた。食事を摂りながら、ワインを片手に外の景色を見る。眺めが良く周辺の山々が遠くに見える。ワインはもう数杯飲み干しほろ酔い加減だ。下の通りから 誰か小さいこの手放した風船が上っていく。絵のような景色の中に風船が上っていくのを見ていると、下から風船がもう一つ上ってきた。飽きずに眺めていて、 ふと気付くと客の大部分が入れ替わっていた。さっきまで音楽の話をしていた老夫婦が座っていた席には、別の老人が座り本を読んでいる。コンサートが始まる 時間 が近づいており、そろそろレストランを出ることにした。
ムジークフェラインの前を通り、コンサート会場へ 向 かう。途中にバロック建築の傑作であるカールス教会が見え る。コンサート会場はすっかりお馴染みとなった「コンツェルト・ハ ウス」だ。このホールは私のヴァイオリンの先生が大学生の時にヴァイオリン協奏曲 (メンデルスゾーン)を弾いた会場だ。現代曲を含むプログラムで、日本人の観光客の姿は他になかった。Jean-Frey RebelとSandor Veressの曲が前半に予定されていたが、「指揮者が演奏活動中に楽譜を"lost"してしまったので一曲割愛します」とのアナウンス。客席から大爆 笑。日本だと「ふざけるな。チケット代返せ。」と怒号が飛び交うところだが、ウィーンの人達は温かい。そして演奏家に優しく接し育てていく。ウィーンの演 奏会では、演奏家を迎える拍手までどこか違う。オーケストラが地元のWiener Kammerorchesterということもあり、演奏家の知り合いの客が多く、舞台を指さしては周りにアピールしている客もいた。地域性を持った優れた オーケストラを地元の人間が支えていくとスタイルにはとても憧れがある。後半はKarl Amadeus HartmannとJoseph Haydnの曲だった。Thomas Zehetmairの指揮振りでプログラムが進んでいく。Zehetmairは室内楽的な繊細さを多く持っていて、微妙なニュアンスを伝えるのがとても上 手だった。
演奏会の余韻に浸りながら、いったんホテルに戻りプールに入る。ホテルにプールがあるとは知っていたが、結局この日まで入る機会がなかった。貸し 切り状態の温水プールに入り、久しぶりに泳ぐ。プールサイドに雑誌がおいてあり、長椅子に横になりながら、眺める。窓の向こうにはウィーンの山々。
ウィーン最後の夕食はホテルで摂った。朝食の時の受付の女性はいない。少しがっかりしたが、ウィーン料理とワインに機嫌を直す。
ウィーンに来たからにはオペラを見ずにはいられない。「フェ ドーラ(ジョルダーノ)」というマイナーなオペラのチケットを取ることが出来、ウィーン国立歌劇場を訪れる。2階ボックス席から会場を見渡す。正装した紳士達の姿が多い。ウィーンではオペラは社交場で、 それなりの服装をしてこなければならない。場内にアナウンスがあり、少し笑い声が流れた後、序曲が流れ幕が開いた。
実力以上のものがないと、この世界ではやっていけない。オペラ歌手達は一つ一つの仕草が洗練されていて、それぞれとても魅力がある。オペラの最初 の方で「トスカ」という台詞が気になり、第一幕が終わった時一緒のボックス席にいた人に話しかけた。彼も同じ疑問を感じたらしかった。プログラムを買って きてみると「トスカ」となっている。最初のアナウンスは演目変更のアナウンスだったようだ。ドイツ語なので理解できなかっただけで。しかし、それがきっか けでその人と少し仲良くなれた。休憩時間に少し世間話をする。彼が「アメリカは良い国だ。遊びに来たことはないのか?」というので「アメリカにはまだ行っ たことはないけれど、アメリカは治安が悪くないか?」と聞くと、「治安は場所による。是非来ると良い。」と言っていた。「機会があれば行ってみたい。」く らい答えておいた。第二幕も堪能した後、ホール内の喫茶店に行き、スパークリングワインを飲んだ。周りを見渡すと、談笑しあう人達。映画で見る社交場のよ うな雰囲気そのままだった。ベルがなり第三幕へ。オペラはクライマックスを迎え、大盛況のうちに終幕した。クライマックスでトスカが身を投げるシーンがあっさりしすぎてい たという不満以外は大満足のオペラだった。
かえってバーへ。ウィーン最後の夜を満喫する。
寝る前に部屋で「pay TV」をチェック。その国の風俗を知る上では欠かせない作業だ(笑)。やっていた内容は・・・アメリカのAVだった。オーストリアのAV女優の嬌声にとて も興味があったのだが・・・。これは人生の宿題にしておこう(爆)。