朝食を摂り、楽器を練習するところまでは昨日と同じ。少し違うのは、明日はここにいないっていう寂しさを感じているところ。ザルツブルグ
も今日が最後。ホテルの部屋にも大分馴染んできて、少し街のこともわかってきたところだが。
ただ、そういった寂しさ以上に大きな期待も感じていた。今日は午前中にウィーンフィルのコンサートを聴いて、そして夜には今回一番楽しみにしているコン
サートがある。今の自分に、世の中にこれ以上の贅沢はないだろう。
ホテルを出て、街の北に架かるミュルナー橋を渡る。川沿いの道を歩くが、今日は晴れている。昨日の夜はここをずぶ濡れになりながら歩いたことを思
い出す。川沿いにはカップルも数組見られる。川沿いから、山の方に向かい、トンネルの近くを過ぎると、祝祭劇場に着く。何度も通ったので、道に迷うことは
ない。
今日のウィーンフィルのコンサートは、指揮が「Christoph
Eschenbach」である。Eschenbachはピアニストとしての名声も知られている。1曲目は1936年生まれのAribert
Reimann作曲「Zeit-Inseln fur
Orchester(2004)」という現代曲である。直訳すると、「Zeit」は時(=time)、「Inseln(Inselの複数形)」は島
(Island)という意味らしい。しかし、曲自体は難解で、作曲者の意図を理解することは出来なかった。ただ、ヨーロッパでコンサートに行くと、こうし
た現代曲をさかんに取り上げていて、現代でもこうして音楽の歴史が作られていく様子が良くわかる。作曲された曲には演奏され、評価を受ける必要があって、
それは今も昔も変わらない。そうした歴史からクラシック音楽の伝統があることを知ってか、ヨーロッパのオーケストラや聴衆は現代曲に対して非常に好意的
だ。
休憩を挟んでマーラーの交響曲第5番。ウィーンフィルの音は羽の様に軽くて、また柔らかく、緩徐楽章では過去に聴いたどんなオーケストラの演奏よ
り心地良かった。反面、クライマックスでは少し迫力に欠ける部分があって、こちらで聴いた通の人の話では、「終楽章なんかはベルリン・フィルの方がお薦め
できるかな」ということになる。また、1楽章の最初のソロで、金管に少し目立ったミスがあって、御愛嬌。ただ、Eschenbachの指揮は素晴らしく
て、彼が表現したいことがとても伝わってきた。フレージングが非常に明確でわかりやすく、演奏もとても立体的に聴くことが出来た。ということで、総合的に
見ると大満足。
コンサートが終わると、少し余韻に浸っただけで、すぐにホテルを目指した。14時5分発ウィーン行きの列車に乗る予定で、乗り遅れると夜のコン
サートに間に合わなくなる。ホテルに着くと、ツアーコーディネーターの山本さんが待っていて、すぐにタクシーで「hauptbahnhof(ザルツブルグ
中央駅)」へ向かった。駅は比較的ホテルから近く、すぐに着いた。駅に着くと、既に列車(ICE647)は止まっていた。早速乗り込む。1等車だったのだ
が、個室になっていて、一人だけの空間に浸ることが出来た。
合図なく、列車が動き出した。ヨーロッパでは当たり前のことなので、もう驚かない。すぐにザルツブルグの街から離れて、田園風景の中を走り出す。 見渡す限りの田園風景だ。畑ばかり続くと思うと、時々集落があったり、家が建っていたりする。見ていて全然飽きない。車内で「Ottakringer (Seit1837)」というビールを買って飲む。ビール自体の味はいまいちだが、こんな風景の中で飲むビールが不味い筈はない。気がつくと誰かとこの景 色を共有したいなどと考えている。胸が締め付けられるように美しい風景だ。
17時33分に列車はWestbahnhof(ウィーン西駅)に着いた。伊藤さんという人が迎えに来てくれる筈だが、見当たらない。ホームから改
札口の方に歩いていったがやはりいない。まぁ、ウィーンも初めてではないので、ホテルまでは独力でも行けるのだが・・・。と思い、最後にもう一度ホームに
行くと、伊藤さんが列車の中を覗いて、俺がいないか探していた。声をかける。どうやら行き違いになっていたらしい。そのまま駅からホテルへ向かう。ホテル
は「グランドホテル ウィーン」という超有名ホテルで、楽友協会(ムジークフェライン)のすぐ近所だ。この近辺は去年も歩いたと思い出す。
ホテルに着いて、伊藤さんに「聴診器とかこっちで買いたいのだけど」と相談してみる。伊藤さんは「学会で良くお医者さんとかいらっしゃって、買っ
て帰る方も多いみたい。コンセルジュさんが知っているかも。」と言ってくれた。でも、コンセルジュは知らなくて、伊藤さんは「また調べておきます」と言っ
てくれた。
部屋に荷物を置くと、ウィーンの街を散策である。だが、コンサートが20時開演なので、あまり時間がない。去年訪れた「ドブリンガー」という楽譜 屋などに寄ってみたのだけれど、夜になっていたため、既に閉まっていた。大通りをふらふらと歩く。ケルントナー大通り周辺は、去年もさんざん歩いたことが あって、迷うことなくスムーズに散策出来た。開演時刻が迫ってロプゴヴィッツ邸に向かう。そう、今日のコンサートは去年訪れたロプコヴィッツ邸で行われる のだ。ここはベートーヴェンが交響曲第3番「英雄」を初披露した広間もある歴史的な建物で、コンサートは中庭で行われることになっていた。
中庭はひんやりと涼しく、客は老夫婦が多かったが、若いカップルもいた。広さは数十名がやっと入れる程度の狭い空間だった。上を見上げると星が綺 麗で、歴史的な建物の、中庭で音楽を聴ける喜びを噛みしめた(もし雨が降ったらどうするんだろうなんていう不安も少し感じながら・・・)。
ヤナーチェク弦楽四重奏団は、スメタナ弦楽四重奏団と共にチェコスロバキアを代表するカルテットだ。彼らの愛国心はとても強く、また自国の作曲家
ドヴォルザーク、スメタナ、ヤナーチェクなどをレパートリーの中心としている。スメタナ弦楽四重奏団は既に解散してしまっているが、ヤナーチェク弦楽四重
奏団は現在も活動を続けている。興味深いのは、CDで聴いてみるとわかるが、ヤナーチェク弦楽四重奏団もスメタナ弦楽四重奏団も、音が独特なのだ。これが
チェコの音なのだろう。なんだかひどく懐かしい音だ。他のカルテットのCDをいくら聴いても、彼らの出す音の雰囲気はない。
プログラムは1曲目に四重奏曲第12番「アメリカ」(ドヴォルザーク)、2曲目に四重奏曲第1番(スメタナ)、3曲目に四重奏曲第2番「内緒の手 紙」(ヤナーチェク)が予定されていた。
さて、最初の曲、第1楽章が始まるとCDで聴いた音が、それよりも生々しくそこにあった。「これだ!」と心の中で叫んだ。2楽章では哀愁に満ちあ ふれた音が中庭に響いた。不覚にも涙がこぼれそうになって、こらえた。何か、切実な、表現しないといられないことというのが伝わってきた。実際にその歴史 を経験した人でないと出せない音だった。その中で、チェロの人が上手く舵を取っていた。チェロは和声を与える同じような音型を繰り返すのだけど、和声が変 わる事に雰囲気をがらっと変えていた。ビオラも、第1ヴァイオリンに引き続いて主題を弾く所など、切々と歌い上げていた。全員の個性が非常に豊かで、それ がうまく融合していた。いつまでも続けばよいと思いながら3楽章が終わり、4楽章が始まった。リズムが非常にクリアに表現されていて、「この曲はこう聴く んだよ」と語りかけているようだった。とはいえ、リズムが強調される部分があるかと思うと、物思いに沈むような部分があったりして、非常に複雑な心境を表 して いた。ドヴォルザークはこの曲をアメリカで作曲したとされるが、典型的なチェコの音楽だと思う。
と、そこに「ゴーン・ゴーン」と響く鐘の音。客席の雰囲気が少し和む。少し笑みを浮かべている人もいる。「ゴーン・ゴーン」の正体は近くの寺院で 鳴らされる鐘の音。しかし、客は全員ステージ上の演奏に釘付けになっていた。時間を知らせるための鐘だが、コンサートが中庭で行われているため、非常に良 く聞こえるのだ。
2曲目のスメタナの弦楽四重奏曲も、1曲目と出だしが非常に良く似ている。如何にもチェコといった雰囲気が感じられる。未だ見ぬチェコを想像す る。そう、明日の今頃はプラハにいる筈なのだ。特に御気に入りは第4楽章で、各パートとも相当な技量が要求されるが、彼らにはそれを苦と感じさせないだけ の技量があった。3曲目の難解なヤナーチェクも素晴らしい名演で締めくくられた。演奏が終わった時、舞台上の演奏者と客は完全に一体化していた。
アンコールはスメタナの弦楽四重奏曲第1番の第4楽章から。カルテットの面々も今日の演奏会に満足したのか、アンコールは凄く晴れやかな表情での 演奏だった。と、そこに「ゴーン・ゴーン」。客席から初めて起こる失笑。カルテットの面々も「いやー、まいったなぁ」っていう表情を浮かべていた。ただ、 演奏と、(鐘の音を除く)演出は共に素晴らしい演奏会で、この演奏会を聴くためだけにウィーンに1泊することにしたのは正解だったと思った(日本に帰って からも彼らのCDを聴く度に思い出す)。
コンサートが終わって、食事をしていないことに気付いた。ホテルに向かう途中で明かりのついた店の中からヴァイオリンの音が聞こえてくる。ふらふ らと誘われるように店に入る。弾いているのは初老の男性だ。店員に食事が出来るか聴いてみると、大丈夫とのこと。奥の席に通される。時間が遅いせいか、客 は数組しかいない。席に着くや否やヴァイオリンを持った男性がウィンクしてきた。そして、俺を弓で指さして何か叫んだ。どうやら「リクエストしろ」と言っ ているらしいのだが、ドイツ語は良くわからない。「わかりません」のジェスチャーをして顔をしかめてみる。すると、頸をかしげて日本の民謡を弾き始めた。 「知ってるか?」というようなことを聴いてくるので、曲に合わせて体を動かして、頷いた。
料理とワインが届くと、その男性は「チャルダッシュ(モンティ)」を弾き始めた。だが、指は回っていないし拙い演奏だ。あまり細かい部分は気にし
ていないようで、かなり雑だ。ま、酒を飲んで聴くのには良いが、さっきのカルテットを聴いた後だけに耳につく。ホテルに楽器を置いてきたことを後悔した。
楽器を持ってきていたら、このくらいのレベルでなら競演しても恥ずかしくはなさそうだからだ。楽器を持ってきていたら、「一緒に弾きませんか?」と話しか
けていたかもしれない。一緒に弾いたら、良い思い出になっただろうに。
食事も魚料理が美味しく、食べ終えたが、まだヴァイオリンの演奏は続いていた。演奏が一段落したところで、帰ろうとしたら、ヴァイオリンを弾いて
いた男性が、楽器を置いて近づいてきた。手を握って下に向けろというのだ。言われたとおりにし、そしてぱっと手のひらを上に向けると、俺の手の中には灰が
握られていた。唖然とする。男性は得意そうな顔でチップを求めてきた。演奏と手品、手品の方がよっぽど印象に残り、10ユーロばかり渡した。
ホテルに戻ると、部屋の下に1枚の紙が挟まっていた。手紙は伊藤さんからで、こう記してあった。「冠省。お帰りなさいませ。コンサートはいかがで したでしょうか。先ほどお電話を差し上げましたが、お出かけのようでしたのでFAXにて失礼致します。帰りがけにフライウングにありますお店を見て参りま した。向かい合わせに2軒ありますが、どたらもウインドウはスポーツ器具、スポーツ医療のためのものが中心のようでした。それでも聴診器も置いてありまし たので聞いてみる価値はあると思います。営業は9:00〜18:00になっていました。ご参考までにお知らせ致します。」
「明日買いに行ってみよう」と決め、今年一番充実した日を終えた。