朝、ゆっくり起床。午前中は本当にやることがない。
さすがに長旅の疲れも感じ、ホテルとスカラ座の間にある公園でのんびり過ごすこととした。公園の入り口で、ホットドッグとビールを買って、公園のベンチで横になり、本を読み始めた。青空の下で読書なんて東京では味わえないなぁ・・・と幸せを一杯に感じながら、ビールをチビリチビリ飲む。この公園は、犬の散歩スポットらしい。公園内の小川に犬が飛び込んでは飼い主に怒られてあがってくる。その小川は犬がいなくなると鳩の群れに占拠された。
1-2時間のんびりすると、スカラ座に出かけた。まずはスカラ座の横にあるCaffe Verdiで食事と酒だ。このカフェは、オペラグッズ満載だ。様々なオペラの宣伝用ポスターなどが所狭しと置かれ、買うことができる。その後、スカラ座の見学である。
ここでちょっとしたハプニング。博物館が開館前だったのを知らず、適当に開いたドアから入ったら、スカラ座関係者専用通路。怪しい日本人はここで御用となったのだ。係員から「関係者以外は出て行きなさい」と言われ、素直に「へいへい」と外へ。
スカラ座の周りをうろうろ不審に歩いていると、ようやく博物館の入り口が開いた。中はオペラで使った衣装や指揮棒などが所狭しと展示されていた。ムービーも見ることができて、椅子に座ってしばらく眺めていた。
スカラ座を見学したら、近くにあるドゥオーモへ。ドゥオーモは、世界最大のゴシック建築と言われている。建物の前にある広場から眺めると圧倒される。建物を訪れる人の数も半端ではない。広場には鳩がものすごくたくさんいて、鳩と人でごった返している。
ドォーモ近くのガッレリアには高級ブランドショップが並んでいた。空気を読んでか、マクドナルドすら黒字に金色のロゴとなっている。ここで土産物を買うことにした。手ぶらで帰ったら、先輩の女医達が何と言うかわからない。私は高いところ以外あまり怖い者はないが、放射線科の先輩の女医は別物だ。旅行前にヘマをやらかし、「おしりペンペンするから、こっちに来なさい」と怒られた時は、本気で怖く逃げたのを覚えている。うち一人の女医は、パンツを指でクルクルと回しながら私に近づいてきて、目を背けた私に「ははは、うちの娘のパンツ〜♪エヘヘ」などというハラスメントをしたことがある。帰って夫に叱られたそうだが。こうした事情で、私は恐怖に震えながら、ブランド物のペン、ペンライトを買ったが、これで何とか御機嫌をとることはできるだろうか?
コンサートまで時間があったので、Bar「SCARA」に入った。とにかく、時間が余れば酒である。
コンサートは、オーケストラが「Filarmonica della Scala」、指揮がZubin Mehtaだった。曲はシューベルトの未完成とブルックナー第7番の交響曲。実際にホールに入ると、装飾が綺麗で、ウィーンの国立歌劇場に劣らない。
ふと横を見ると、老年の女性が使い捨てカメラを相手に苦闘している。「どうされました?」と声をかけてみた。英語は得意ではないが、酔っているので口が良く廻る。すると女性は「フラッシュはどうするのかしら?」と答え、私が「これは日本製なんで、私がよく知っているタイプのカメラですよ」と言ったのだが、私が手に取る前に問題は解決した。
これがきっかけになって、色々話をするようになった。簡単な自己紹介もした。彼女はニューヨーク出身。ズビン・メータがニューヨーク・フィルで指揮していた頃、毎回通い詰めるくらいファンだったそうである。今回、メータがミラノで指揮をすることを知って、文字通り「飛んで」来たのだという。「選曲もいいわね」と彼女はすっかり舞い上がっていた。
プログラムを見ていた彼女が声を上げた。「メータってあなたと同じ医者なんじゃないの?」
プログラムを見ると、メータの略歴に「Dopo gli studi in medicina, nel 1954 si transferisce a Viennna per studiare direzione d'orchestra all'Akademie fur Musik e pochi anni dopo 〜.」とある。医者と言えるかはわからないが、医学を志ざそうとしたことがあると知り、少し親近感が湧いた。
演奏はごく自然な演奏。あまり癖のない演奏だった。こうした自然な演奏が実は一番難しい。シューベルトの交響曲「未完成」は、小学生の頃、父親がアマチュア演奏会でクラリネットを吹いていたのを思い出した。音楽には、そうした記憶の色づけがされることもある。ブルックナーの交響曲第7番は初めて聞く曲だったが、割と聴きやすかったのは、メータの腕もあるのだろうか?気持ちよく聴き終え、老婦人と挨拶して、ホテルに戻った。