いよいよ学会の始まりだ。ホテルで学会場の場所を確認。地図を貰った。発表のためのポスターを貼らなくてはいけないので、8時過ぎにホテルを出た。
日本にいたときに、教授が「みんな学会にラフな格好で来るのよね。前回は学会長がTシャツにジーンズだったんだから。向こうの人達ってそういうところ無頓着みたい」と言っていたので、私も赤いシャツでラフな格好。
ところが、学会場に向かう人の列は、みんな正装。赤シャツの自分が浮いているのがわかる。恥ずかしくて顔まで真っ赤になってしまった。KY的な視線を感じたが、自意識過剰だったかもしれない。学会場に着くと、ラフな格好の人達もいて、一安心。
学会場は、港の奥から先端まで数百メートル続く建物の先端にあった。結構な距離だ。港を挟んで反対側には、水族館がある。
学会場でエントリーを済ませて、2階にポスターを貼りに行った。ポスターコーナーにおばさんがいて、そこで両面テープを借りてポスターを貼る場所を聞いた。Inflammatory diseaseのコーナーが私がポスターを貼る場所だ。私が貼ろうとするスペースの隣に、K先生のポスターが貼ってあった。
私がポスターを貼り終わった時、「ボンジョルノ!」といいながら、私の腰を蹴ってきた人物がいた。日本男児の誇りにかけて、蹴り返そうとして見ると、同じ大学のK先生だった。この瞬間、彼のニックネームが「ボンジョルノ先生」に決定。
ボンジョルノ先生と貼ってあるポスターを見て廻った。結構、いい加減なポスターもあったりしたが、musicogenic epilepsyなど、私の興味を引きつけるポスターもいくつかあった。musicgenic epilepsyというのは、ある種の音楽を聴くと癲癇発作を起こしてしまうことである。教会の鐘で誘発される癲癇患者の論文報告は読んだことがあるが、私は実際にそのような患者を診たことはない。そのmusicogenic epilepsy患者のfMRIを撮像し、癲癇を誘発する音楽とそれ以外の音楽を聴かせて比較したのが今回のポスターだった。発表者はボローニャ大学の医師だったが、良くこんなこと思いついたものだと感心した。その他に、様々な頭蓋内感染症のMRI画像を纏めたものや、様々な疾患の拡散強調像を纏めたポスターがあり、勉強になった。
幸い、本日は初日でたいした発表もない。そのまま学会場を抜け出して、学会場近くのBarでビールを乾杯。学会場と連続した建物で、港側を向いているので、景色が非常によい。そこで、今日はどこを観光するかの話し合い。K先生が是非行きたいと言っていたのが、ポルトベーネレ(Portovenere)だ。イタリア通のボンジョルノ先生のお薦めなら、ハズレはないだろう。
しばらくまったりして、色々観光することにした。最初はジェノヴァ港の側を歩いていたのだけれど、周りが全部外国人。誰も日本語がわからないので、いたずら心が湧いてきた。ボンジョルノ先生と卑猥な言葉満載の猥談を大声で話しながら、「誰も言葉がわからないっていいよね、言いたい放題だよね」と言って後ろを見たら、日本人が歩いていた。赤面。
それはさておき、いよいよ観光だ。まず、私のホテルで荷物を置いて、ボンジョルノ先生のホテルに向かった。ボンジョルノ先生は、予め学会にホテルを抑えて貰っていたのだが、そのサービス担当者が音信不通。前日は、夜、駅でホテルを探して、見つけたホテルに宿泊したのだそうだ。今日は学会受付に行って、予約出来ていることを確認して、当初予定していたホテルに向かった。
ところが、そのホテルに着いても、受付の女性が「予約されていないよ」と。ボンジョルノ先生が事情を説明し、相手が学会に電話してくれることとなった。それでやっと泊まれることに。このイタリアのずさんさが何とも言えないのだが、ボンジョルノ先生も笑っていて怒っているそぶりはない。彼はイタリアに来るのが6回目で、簡単なイタリア語会話ならできるのだが、イタリアでは日常茶飯事なのだろう。
ボンジョルノ先生のホテルは、新市街にあるブリニョーレ駅のすぐ側。そのまま、ブリニョーレ駅で軽食を摂ることにした。更にビール。
駅でラ・スペツィア(La spezia)行きの特急に乗って、小旅行の始まりだ。特急は海沿いの景色が綺麗なところを走る。私は、駅で買った日本語の新聞2紙を読みながら、景色を堪能した。こんな昼間っぱらから酒を飲んで、景色を堪能するなんて、日本にいる頃にはありえない世界だった。ボンジョルノ先生と、「ずっとこっちにいたいよね」と盛り上がった。
ラ・スペツィアからポルトヴェーネレ(Portovenere)まではバス。バスも海沿いの景色が綺麗な場所を縫うように走った。えも言えない地中海の景色に、走行中の写真を一杯撮った。途中、軍艦も停泊していた。そのギャップがまた何とも言えない。
ポルトヴェーネレに着くと、早速景色の綺麗な高台まで歩いた。高台から見下ろす地中海は、絶景だ。その斜面にある家を見ながら、ボンジョルノ先生と「ここに将来住みたいよね」と。
高台から海近くまで下って、そこのレストランに入った。食事とビール!磯の香りが食欲をかき立てる。
食事を終えて、船着き場に行くと、丁度ポルトフィーノ(Portofino)行きの船があると書いてある。ボンジョルノ先生が、船に乗りたいと伝えると、今日は船が出ていない曜日だとのこと。そんなことどこにも書いていないのだが、そのアバウトさがイタリアらしくて良い。
仕方ないので、すぐそばにある観光案内所に行ったところ、今度は「昼の12時から4時までは昼休み」と書いてあり、誰もいなかった。何なのだ?この国は・・・。しかし郷にいれば郷に従えだ。彼らにとっては、その温さがまた気楽なのだろう。
結局、停泊している船の行き先を聞きチンクエテッレ(Cinqueterre)であることがわかったので、それに乗ることにした。チンクエテッレは、Monterosso, Vernazza, Corniglia, Manarola, Riomaggioreの5つの集落が集まったものだ。ポルトヴェーネレから見ると、ジェノヴァの方角になる。終点のモンテロッソからはジェノヴァ行きの電車がある。
そうと決まったので、早速船に乗り込んだ。船から海を見ていると、花嫁衣装の女性が小舟に乗っている。運良く結婚式に遭遇だ。周りの観光客から歓声があがる。女性は船着き場からエスコートされて上陸していった。地元の結婚の儀式なのだろうが、こんなものまで見られるとは幸運だ。
そうこうしている内に、船が離岸した。陸のすぐそばを船が走る。ある集落で、ボンジョルノ先生が「あっ、トドがいる!」と声を上げ、指さした先が、甲羅干しをしている太った女性だった。二人で大爆笑。
モンテロッソからジェノヴァへは電車なのだが、鈍行しかなかった。それも、えらくちんたら走る。駅で買ったビールを飲み、あとは景色を眺めていた。
ジェノヴァに着いたのは、夜。学会のWelcome partyがもう終わりの頃だった。二人で軽く食事をして、ワインを飲んで、ボンジョルノ先生が行きたいと言っていたレストランに行った。食事が美味しいし、ワインも美味しい。本当にイタリアは、食にかけては非のつけどころがない。店員の女性も綺麗だった。
食事をして、ボンジョルノ先生と別れた。翌日は朝が早いのだ。