今日は朝からゆっくり出来る。Genoaも行きたいところは大体行ったし、のんびりと講義を聞くことにした。体を休める日も必要だ。
学会場にはインターネットスペースがある。自分のサイトに書き込みをしてみた。
11時20分からMaestrale Roomで行われる「Imaging of neurotoxity」という発表が面白そうだったので聞きに行くことにした。イタリアのサルバトーレ病院、Gallucciによる発表。中毒疾患を纏めた講義だ。例えばアルコール乱用だと、Wernicke's encephalopathy, Osmotic Myeliolysis, Marchiafava Bignami disease, Methanol intoxicationなどは押さえていないといけない。それぞれの画像所見について説明があった。また、それに派生してエチレングリコール中毒、Carbon monoxide中毒なんていうものもあった。また、酒で肝臓を壊してしまうと、Acquired Hepato-Cerebral Degenerationも考えないといけない。その他、医原性の中毒といえば、化学療法である。その他、ヘロイン中毒、コカイン中毒の画像も見ることが出来た。結論としては、いろんな種類の薬物中毒が似たような中枢性病変を示す。それは、外因性物質が内因的メカニズム(酸欠、毒素、興奮性アミノ酸、フリーラジカル)を活性化させることで作用しているために、内因的メカニズムが共通していれば似たような病変になるのかもしれない。
続いて、同じ会場で、「The aging brain and neurodegenerative disorders」というテーマでいくつか発表があり、まったりと聞いた。そこで昼休み。
昼食がてら、ボンジョルノ先生と飲みに行った。イタリアには、昼からBarが空いていて、いつでも酒を飲むことが出来る。
酒を飲んでから、遊覧船へ。Genoa港を一周する事が出来る。若干高かったが、まぁしょうがない。船に乗ると風が心地よかった。海から見る街の眺めも乙なものだ。学会場の横を船で走る。でも、船の行き先はコンテナ船が屯する港の一角だった。どうせなら、もっと眺めの良いところまで行けば良いのに。
港に戻ってからは、水族館に行くことにした。この水族館が非常に広大なのだ。ボンジョルノ先生は妻への土産を買っていた。おいらは特に買うものなかったかな。
夜はディナーがあるため、準備のため、一旦ホテルに戻ることにした。そこでトラブル発生。部屋に入ると私の荷物がなく、別の人の荷物があるのだ。
頭の中が「?」マークだらけになりながら、フロントに行き、聞いてみた。「俺の部屋に別の人の荷物があるし、俺の荷物がないじゃないか?」
ホテルの係員は「やれやれ、お前か・・・」みたいな表情をして、「お前は今朝チェックアウトの予定になってただろう?」と言ってきた。「・・・!」そういえば、今日違うホテルに移る予定だった。学会でホテルを押さえて貰えるのが今日までだったんだと思い出し、平身低頭。
急いでチェックアウトを済ませると、タクシーを捕まえ、新しいホテル「Soglia」に向かった。
ホテルでチェックインを済ませると、すぐに正装に着替え、ディナー会場に出かけた。
ディナー会場は、王宮「Palazzo del Principe」だ。とても立派な王宮からは街が一望出来る。中庭で正装した紳士・淑女が談笑し、「これがヨーロッパの社交場なんだな」と感心。
やがて中庭の一角でワインと軽食が振る舞われ、結構お腹一杯に食べ、酔っぱらった。ボンジョルノ先生と飲んでいると、教授が他大学の先生を何人も紹介してくれた。講演を聞いたことのある教授もいたりして恐縮だったが、酒の席でもあり、かなりうち解けた。都内の某大学教授は全く英語が話せない方で、外国人とも日本語で会話し、それが通じているのが印象的だった。
「ふー、楽しかった」と思って、やや満腹になったところで、王宮の建物の入り口が開いた。どうやら、これまでのは前座だったらしい。ぞろぞろと王宮に入り、みんなそれぞれの部屋に散らばっていた。我々日本人が囲んだテーブルは天蓋の間で、隣のテーブルは何とOsborn教授だった。これにはビックリ。Osbornの教科書を買って勉強していたころは、まさかこの先生と隣の机で食事をするなんて、夢にも思わなかった。
我々日本人の陣取ったテーブルは一席余っており、そこにオーストラリア人医師が「良いですか?」と声をかけてきた。丁度ボンジョルノ先生の隣に彼は座った。
ボンジョルノ先生は語学が堪能なので、オーストラリア人医師と会話が弾んでいた。そのオーストラリア人医師が働く病院では、2000床の病院に対して、CTが4台しかないらしい。私が働く大学病院は、1000床くらいでもCTは10台くらいある。如何に日本がCTを必要としているかだ。おそらく、海外だとCTを撮らなかったことによる見逃しが、日本ほど問題にならないことの裏返しだと思う。更に、ボンジョルノ先生の妻が産科医だと聞いたオーストラリア人医師は、珍しいものを見るかのような顔をして言った。「オーストラリアでは、訴訟のせいで産科医になる医師がいなくなってしまった。なので、産科医を訴訟から守る法律が出来た」。日本もいずれそのようになる気がした。
中庭で予め食べ過ぎていたため、ディナーではあまり食べられなかった。ステーキはお代わりが自由だったのだけど。卑しい話だが、そこが少し残念だった。ワインはたくさんごちそうになったけど。
ディナーがお開きになったあと、親しくなった先生達と、港を望むバーに移動した。弘前大学の先生が、弘前大学の歴史を語ってくれたのが印象的だった。太平洋戦争で、函館に行く爆撃機が視界不良で引き返し、弘前大学を爆撃したことがあった。その時、研究施設を離れるのが忍びなく、死を選んだ医師がいたらしい。
俗世間から遠いところにある多くの話題に気持ちよく酔っぱらって、ホテルに戻った。
ホテルに戻ると、玄関の自動ドアの鍵が閉まっていた。ちなみに、ホテルがあるのは治安が悪い場所で、ガイドブックにも「夜一人で歩かないように」と書いてある地区だ。ホテルの前で一晩明かすとすれば、身ぐるみ全部はがされることは確実だろう。ドアを叩いてみたが、何の応答もない。フロントにも誰もいないのだ。こうなったら命がけである。自動ドアの真ん中に手を入れて、強引にこじ開けてみたら、わずかに隙間が開いた。あと一息で中に入れそうだ・・・と思っていると、中からホテルの従業員が出てきた。不審人物だと思われたらしい。実際にそうではあるが。
従業員から「そうしたんだ?」と聞かれ、「鍵がかかっていたから・・・」と答えると、「インターホンを押しなさい」と注意された。従業員が指さす先にはインターホンが・・・。最初からこれを押せば良かったのだ。でも、カバーが掛かっていてわかりにくいことこの上なかった。もっとわかりやすいように表示してくれないと。
ようやく部屋にたどり着き、「Pay TV」をつけてみた。イタリアで泊まったホテルの中で、唯一このホテルだけ「Pay TV」が見られるシステムになっていたのだ。「Pay TV」と言えばかっこいいが、要はHなビデオである。とはいえ、国際文化学者の私にとっては、大切な研究テーマだ。アメリカ人の「It's comming, oh, ah・・・」というのは有名だが、イタリア人は、ベッドの中でどんな声を出すのだろうか?言語学者チョムスキーの一元発生説によれば、女性が気持ちよくなったときに出る声には、普遍素がある筈だ。胸を躍らせて、「Laguage→Italian」を選んだ。
画面が出て失望。英語なのだ。Italianを選んだ筈なのに・・・。悔しくて、3本分見たが、全部英語だった。フロントにクレームをつけようかと思ったが、さすがに内容が内容だけに諦め、寝ることにした。研究は将来に持ち越しだ。