学会は朝 8時から始まる。それに備えて早起きしたら、テレビの深夜番組がまだやっていて、裸の女性がダイアルQ2みたいな宣伝をしていた。朝からエロくてよろしい。何か得した気分。早起きは三文の得とはこのことだろう・・・違うかな。
朝8時からみっちり「Brain infection」「Update on MRI criteria for early diagnosis of multiple sclerosis」「MRI in epilepsy」の講演を聴いて、昼に学会場を出た。午後の講演はやはり脳外科領域なので神経内科医が英語で聞いても子守唄になるだけだ。
ヤギェヴォ大学のコレギウム・マイウスをまず訪れた。15世紀の建物らしい。壁に設置されたからくり時計の人形がかわいい。
中には昔の地球儀とか、歴史的な展示物がたくさんあった。解説の方が説明してくれたが、英語なのでよくわからなかった。
ヤギェヴォ大学を出た後は、中央市場でジョッキなどガラス細工を土産に買って、昼は近くのレストラン「Chlopskie Jaldlo」で食事。バルシチを頼んでみたところ、木の根っこのスープといった感じで、味はあまり口に合わなかった。また、量も飲みきれないくらい多かった。興味があってHot Beerというのも頼んでみた。こちらは思ったより甘くて不思議な味がした。あとは Soplicaというウォッカを頼んだ。ウォッカはさすがにきつかったが、きつい分多くの量が飲めず、酔いすぎることはなかった。
レストランを出た後は、ヴァヴェル城に向かった。ヴァヴェル城の北側にはジグムント塔があり、上からの眺めが絶景だ。ここにはポーランド最大の鐘が吊されている。ある逸話にちなんで、恋愛成就を願う多くの人が手で触れていく。
クラクフの伝説 WYDAWNICTWO WAM |
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ある日、大切なイベントがあり、鐘が鳴らされていた。そしてそこに、一人の娘が、鐘を鳴らす仕事をしている父に会うためにやってきた。彼女は、父にとても大切な話があったが父は、仕事中だったので鐘の音を聞きながら父の仕事が終わるのを待っていた。彼女は、とても悲しい恋をしていた。愛している人がいたが、その人は彼女のことを愛していなかった。そのことからこの辛い気持ち以外に何も考えられなくなり、苦しくて本当に心細かった。彼女は、父を待つ間、物思いにふけっていた。大好きな彼が彼女の元に来て、愛を告白してくれる、そんなことを空想していた。心配した父が仕事を中断して、彼女の様子を見に来た。「どうしてここに来たのか」と父が尋ねたとき、彼女は、空想から瞬時に不幸な現実の世界に引き戻された。そして父に、この悲しい恋の一部始終を話した。ジグムントの鐘はまだ鳴り続けていた。父は微笑みながら言った、 「もし心に悲しみが訪れたら、鐘の心に気持ちを重ねてごらん。鐘は、私たちに幸せと恵みを与えるために響いているのだよ。もし君の心が鐘の心と同じくらい強ければきっと夢はかなうかもしれないね。」 父は、ただひたすら娘を励まし、元気づけようとこの言葉を発した。しかし、娘はこの言葉を真剣に受け止めた。鐘が鳴り止むと娘は、鐘の鈴の部分(心)に頬をすりよせ、自分の心が鐘の心と同じように強くなることを神様に祈った。そして、愛する人が彼女を深く愛してくれるようにと心から願った。数日たって、数ヶ月たっても彼女は、この夢がかなうはずだと祈り続けていた。そして、やっと彼は、彼女が特別な女性であることに気がついたのだ。どうしてこのようなことに発展したのかはわからないのだが結局彼女は、彼と結婚することができた。彼女は、この事実を隠すことなく皆に話した。そうすると、人づてにこの話が広まり、若い女性が次々とこの鐘の心に触れて恋を成就させようと、クラクフ大聖堂を訪れた。 |
私も鐘に手を添えてみたが・・・。以来、恋とは無縁な生活が続いている。こんなの所詮、迷信だ。
時間が余ったので、市内を散策した。楽器屋を見つけて、見たことのないメーカーのヴァイオリンの弦を購入した。
学会場に戻り、オズボーンの講義を聴いた。神経放射線科をかじった医師でオズボーンを知らなかったらモグリと言われるくらい有名な先生だ。もう高齢なのに講義は軽快そのもの。飛んだり跳ねたり歌ったりしながら、聴衆をいじり倒す。ポイントがよく整理されていて明快だ。
オズボーンの講義を聴いた帰り、中央市場すぐ近くの Bonerowski Palaceという建物に向かった。昼食で見つけたパンフレットに載っていたコンサートがあるのだ。ショパンの曲をさまざまなピアニストが演奏する企画で、この日は Pawel Kubicaというポーランドの演奏家。聴いたことのない名前だが、パンフレットに略歴が書いてある。
Pauel Kubica | Pauel Kubica graduated with distinction from the Cracow Academy of Music, from the class of Janusz Oiejniczak in 1996. He has won a string of awards in competitions both in Poland and abroad. He won the Stendal Music Foundation's Piano Competition (Detmold, Germany) in 1992; was awarded the special prize at the First Aleksander Tansman Internationa Competition of Music Resonalities (Lodz, Poland) in 1996; and carried off two prizes at the Second Krzysztof Penderecki International Contemporary Chamber Music Competition in Cracow in 1998: first prize in the solo category, and the special prize for the best interpretation of a work by a Polish composer. He has entered the Frederic Chopin international Piano Competition twice (1995, 2000). He gives concerts in Poland and abroad. His discography includes a CD with the works of Shumann, released in Germany in 1995 by BMG Ariola. He has recorded Schumann's Piano Concerto in A Minor for Polish Radio together with the Polish Radio Orchestra, conducted by Wojciech Rajski (2002). |
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経歴をみるだけで、ポーランドに根差して活動しているのがわかる。狭い部屋で、至近距離から、地元演奏家の弾くショパンを聴いた。アットホームで、大きなホールで聴くのと違った感動がある。室内楽は本来こういう聴き方をするべきものなのだろう。
演奏が終わってから、上品なドイツ人夫人 (独断推定 50歳くらい) が「日本人ですか?」と話しかけてきた。たわいもない話で盛り上がっていたら、夫が「いいから帰るぞ」的なことを言ったので、その夫人は名残惜しそうに帰っていった。おいら、旦那に妬かれていたりして・・・(嘘)
演奏の余韻が体の中に残っていたので、ホテルにある Barに入った。「Chopin」というウォッカがあったのでそれを注文。「ストレートでくれ」と言ったら、店員が「それは後悔することになるから、それだけで飲むのは辞めた方がいいよ。このウォッカはコーラが合うんだよ」とアドヴァイスをくれた。好意に甘えてチェイサーにコーラを頼んだら正解だった。ウォッカにコーラが非常に合うのだ。ウォッカだけだとちょっと味気がない感じがするけれど、コーラあると丁度よいアクセントになる。
自分の内面の奥底に降りていたら、男が一人入ってきて、物乞いを始めた。可哀想だけど、ガイドブックには危険だから金を上げない方がよい (財布を出すと危険) と書いてあったので、丁寧に断った。バーテンダーは知らんぷりしていたけれど、珍しくないのだろう。